正教会 Orthodox Church - Japanese Flowers of Orthodoxy 1






正教会 Orthodox Church


Japanese Flowers of Orthodoxy 1


ORTHODOX CHRISTIANITY – MULTILINGUAL ORTHODOXY – EASTERN ORTHODOX CHURCH – ΟΡΘΟΔΟΞΙΑ – ​SIMBAHANG ORTODOKSO NG SILANGAN – 东正教在中国 – ORTODOXIA – 日本正教会 – ORTODOSSIA – อีสเทิร์นออร์ทอดอกซ์ – ORTHODOXIE – 동방 정교회 – PRAWOSŁAWIE – ORTHODOXE KERK -​​ නැගෙනහිර ඕර්තඩොක්ස් සභාව​ – ​СРЦЕ ПРАВОСЛАВНО – BISERICA ORTODOXĂ –​ ​GEREJA ORTODOKS – ORTODOKSI – ПРАВОСЛАВИЕ – ORTODOKSE KIRKE – CHÍNH THỐNG GIÁO ĐÔNG PHƯƠNG​ – ​EAGLAIS CHEARTCHREIDMHEACH​ – ​ ՈՒՂՂԱՓԱՌ ԵԿԵՂԵՑԻՆ​​ / Abel-Tasos Gkiouzelis - https://gkiouzelisabeltasos.blogspot.com - Email: gkiouz.abel@gmail.com - Feel free to email me...!

♫•(¯`v´¯) ¸.•*¨*
◦.(¯`:☼:´¯)
..✿.(.^.)•.¸¸.•`•.¸¸✿
✩¸ ¸.•¨ ​



ようこそ! 

Welcome!


<>




「生まれ変わり」はあるんですか

Is there a “reincarnation”

人間が死んで次の世では犬や猫に生まれ変わるというのは、仏教の輪廻の考え方です。キリスト教にはそういう考え方はありません。死後、人はしばらく眠りにつきます(永眠)が、やがて、ハリストスがこの世に再びやってくるとき、新しい体を与えられて復活し、生前の生き方に応じて裁かれます。

ソース:

http://nagoya-orthodox.com


http://nagoya-orthodox.com/ja/中学生の質問にお答え.html

名古屋正教会 NAGOYA ORTHODOX CHURCH

<>



正教会: 開祖は誰ですか – いつ頃から始まったのですか – どこで始まったのですか 

Questions about Eastern Orthodox Church

もしキリスト教が、誰かが「あたま」で考え出した「教え」をもとにした宗教なら、その誰かが「開祖」ということになりますが、キリスト教はそういうものではありません。旧約聖書に伝えられているように、神さまと人とは長い交わりの歴史を持ちます。それは、人間は本来とてもステキなものとして神さまに創造されたのに、神さまに背いたために、そのせっかくのステキさを失ってしまい、惨めな姿でこの世をさまよう歴史、そしてその人間に対する、神さまの愛による怒りや悲しみや赦しの歴史です。

そんな歴史の中で、人間は、神さまの愛に応えようと、神さまの怒りをなだめようと、神さまに赦していただこうと、神さまに礼拝する(祈る)ことを始めました。キリスト教はその時にすでに始まっていたと言ってもいいのです。

ただ、神さまと人間との関係は、イイスス·ハリストス(イエス·キリストの日本正教会での呼び方。日本のキリスト教の教派の採用する呼び方の中で、いちばんもともとのギリシャ語の発音に近いんですよ)が、今日のイスラエルのベツレヘムという町に生まれた時に大きく変わりました。イイススは成長し、三十歳の頃、人々に教えを宣べはじめました。不思議な力でたくさんの病人たちを癒しました。そのころユダヤの地を支配していたローマ帝国の圧制に苦しんでいた民衆は、イイススを「救い主」として歓迎しました。やがてユダヤの宗教的指導者たちは、ますます人気が高くなるイイススによって、自分たちの権威が失われてしまうことを恐れ、ついに、イイススを捕らえ、十字架にかけて殺してしまいました。
埋葬されて三日目に、女のお弟子さんたちがお墓に行くと、そこは空っぽで、天使が「主はよみがえった」と告げました。やがて、お弟子たちの所に復活したイイススが現れました。その時、お弟子さんたちは、イイススが「神の子」、真の「救い主」(ハリストス)であることを、心の底から確信したのです。

イイススは四十日間お弟子さんたちとともに生活を共にし、ついに天使たちにともなわれて、父なる神のもとに昇りました(「昇天」)。しかし、イイススは、お弟子さんたちにあらかじめ約束していたとおり、聖神(「聖霊」の日本正教会訳)を天の父なる神のもとから、地上にお遣わしになりました。この聖神を受けて、お弟子さんたちの内に、どんな困難にも負けない力と知恵と愛があふれました。そしてお弟子さんたちは、「神の子」が、私たち人間のために十字架で死に、なんと三日目に復活したこと、これを信じる者に、罪の赦しと永遠の生命を、言い換えれば「人間のよみがえり」を約束してくださったという「福音」(喜びの知らせ)を、世界中に伝える「使徒」となりました。

その時、今日まで続く「教会」が、ハッキリ目に見えるかたちで存在しはじめたと言っていいでしょう。「教会」はこの使徒の働きを受けついでいます。
この出来事が起きたのは紀元三十年頃といわれています。

キリスト教とは、使徒たちが世界各地に設立した教会が、今日まで宣べ伝え続けている「福音」であり、この福音を信じ「洗礼」を受け教会のメンバーとなった信徒たちが集う「聖体礼儀」(カトリックでは「ミサ」、プロテスタントでは「聖餐式」と呼びます)という礼拝を中心とした祈りの生活であり、そこで教えられる聖書にもとづく教えであり、その教えによって導かれる「愛」を最も大切なものとする生活のあり方です。

このような教会のあり方をしっかりと守り、多くの人々を教会に集め、いつ起きるか神さまだけしか知らない「ハリストスの再臨」*に備えさせること、これがキリスト教(教会)の目的です。

*ハリストスの再臨 ハリストスが再びこの世に来られ、全ての死者を復活させ、その時生きている人々とともに、生前の生き方に従って一人一人を永遠の生命か、永遠の地獄かに裁きます(最後の審判)。

<>



どうやって霊的弱点から逃れるか

Why do I always eat too much?

Q&A

Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)

――聖山アトスのパイシイとの対話――

――長老様、どうして私はいつも食べ過ぎてしまうのでしょう。

――なぜならそこがお前さんの弱点だからじゃよ。悪魔は守りの弱いところをまず攻めるもので、守りの固い場所には近づかないものだからの。悪魔はまたこうも言う。「もしここを攻め落とすことが出来たら、ほかのところも少しずつ奪い取っていこう」とな。だから弱点はしっかり固める必要があるのじゃよ。

<>



どうやって霊的弱点から逃れるか

私は戦うのがつらいのです

I am afraid to fight

Q&A

Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)

――聖山アトスのパイシイとの対話――

――長老様、私は戦うのがつらいのです。

――指からとげを抜き取るのは痛いものじゃが、自分から欠点を引っ張り出すのはそれよりもっと痛いものじゃよ。覚えておくがいいよ。人が誘惑を切り捨てようと努力している時、誘惑は人の前につまずきの石を置くものだから、人はものすごく苦しむ。それこそ悪魔憑きみたいに苦しむが、それは悪魔と戦っているからなのじゃ。けれどもやがて悪魔憑きは自由になるのじゃ。

自分を浄めるというのは、ボタンを押すように簡単にはいかんものでな。自動的に、何の苦労もなしに得られるものではない。木を切り倒すのと同じで、霊的欠点もすぐには切り捨てることが出来ん。のこぎりで幹を切るのに長いことかかるではないかの。しかもそれでおしまいではないのじゃよ。丸太から家具を作るのに、どれだけ苦労しなければならんことか!まず丸太を切って、板にして、職人が時間をかけて磨いて、それから家具にしていく。

――もし、そのような努力が必要だと私が思わなかったら?

――その時は、切り株のままでいるじゃろう。そしてしまいには火に投げ込まれるじゃろうな。

ソース:

http://nagoya-orthodox.com

http://nagoya-orthodox.com/ja/アトスの長老パイシイの教え_どうやって霊的弱点から逃れるか.html

名古屋正教会 NAGOYA ORTHODOX CHURCH

<>









アンドロニク ニコリスキイ

St Andronik Nikolsky of Kyoto, Japan (+1918)

アンドロニク(修道誓願前の姓:ニコリスキイ、Andronik (Nikolsky)、1870年8月13日(ユリウス暦の8月1日) – 1918年6月20日 (ユリウス暦の7月7日)は、ロシア正教会と日本正教会の主教。正教会で聖人。日本正教会では初代京都の主教でもあった事から、「ペルミの神品致命者聖アンドロニク」の称号のほかに「初代京都の主教聖アンドロニク」の名でも呼ばれる。
ロシア革命時に、生き埋めの上で銃殺され致命した事で知られる。

生涯

1870年8月1日、ヤロスラヴリ教区のムィシュキン村(Myshkin)に生まれる(俗名:ウラジーミル·ニコリスキイ)。父は輔祭。
1891年にヤロスラヴリ神学校を卒業すると、モスクワ神学大学に入学。在学中の1893年8月1日に修道士となり、アンドロニクの修道名を授かる。1895年7月22日、修道司祭に叙聖された。その後、クタイシの神学校に赴任する。1898年には1年弱の期間、来日して日本正教会での修道司祭の任にあった。1900年には掌院に昇叙された。

京都の主教として

1906年11月、ロシア正教会の聖務会院によってニコライ·カサートキンを輔佐する主教として、来日経験のあるアンドロニクを選ぶ決定がなされた事により、掌院アンドロニクは京都の主教に叙聖された。叙聖式はアレクサンドル·ネフスキー大修道院の大聖堂で行われた。

1907年3月8日、京都正教会の司祭シメオン三井道郎が出迎える敦賀港に入港。1907年4月7日の生神女福音祭は京都正教会(生神女福音聖堂)で司祷している。

同年4月下旬には「京都の主教」のタイトルではあるが大阪を常任地とする決定を東京滞在中に行った(常任地をタイトルと違う場所に設定する事は正教会ではあまり珍しく無い)。聖枝祭、受難週、復活大祭、光明週間、フォマの主日を大阪正教会で司祷している。しかしながら体調の悪化により滞在僅か3ヶ月で6月中旬にロシアに帰国した。

ロシア革命により致命

帰国後10年間、1898年に共に来日した経験のあるセルギイ·ストラゴロツキイと共にロシア正教会の中枢で活躍したが、ロシア革命によって無神論を掲げ宗教弾圧を行うボリシェヴィキが政権を握るとロシア正教会は大弾圧を蒙った。
大主教アンドロニク(1918年4月にアンドロニクは大主教に昇叙されていた)は1918年6月22日、ヴェーチェーカーによりペルミの森で自ら掘らされた墓穴に生き埋めにされた上で銃殺され致命した。47歳であった。

列聖

2000年8月にロシア正教会はアンドロニクを新致命者の一人として列聖。列聖式には日本正教会から、首座主教である全日本の府主教ダニイル主代郁夫と、東日本の主教セラフィム辻永昇が陪祷した。2004年2月には京都正教会に聖アンドロニクのイコンが、京都正教会の制作依頼によりモスクワから届けられている。

<>







今日はシリアの聖エフレムの記憶日です
Today is the memory day of St. Ephrem in Syria

今日はシリアの聖エフレムの記憶日です。聖エフレムはシリアで活動した修道輔祭で、大斎(Great Lent)期間中唱えられる「聖エフレムの祝文」をはじめとする数多くの祈祷文や聖歌を作成し、正教会の伝統に大きな影響を与えた聖人です。

アリウス派に反対した神学者としても知られています。

https://twitter.com/nicholas199903

<>



今日はロシアの新致命者たちの記憶日です

Today is the memory day of the New Russian Martyrs

今日はロシアの新致命者たちの記憶日です。

ロシア革命後のソビエト政府による迫害で、皇帝や総主教をはじめとする数多くの正教徒が殉教しました。

革命前、5万以上だった教会の数は20年で数百まで減り、迫害がピークに達した1937年には一年で約16万人が逮捕され、約9万人が処刑されました。

https://twitter.com/nicholas199903

<>


ロシア出身の正教会聖人は多いですが

There are many Orthodox Saints from Russia

ロシア出身の正教会聖人は多いですが、「亜使徒(使徒に等しい者)」という称号が与えられたのは4人だけです。

日本の聖ニコライは、ロシアをキリスト教化させた聖オリガ·聖ウラジミールに続き、3番目に亜使徒の称号が与えられた聖人です。

ちなみに、4人目はアラスカの聖インノケンティです。

https://twitter.com/nicholas199903

<>



聖アフメト

Saint Ahmed of Constantinople, Asia Minor (+1682)

聖アフメトは17世紀の致命者で、元々はオスマン政府の役人でした。

ロシア人の妾の影響で正教会を知った彼は、聖体礼儀に参祷した際、神秘的な体験をした事がきっかけで正教に改宗しました。その後、改宗した事がばれ、拷問を受けましたが、自分の信仰を捨てず致命しました。に感謝

<>


ヤコブ (ゼベダイの子)

イエス·キリストの十二使徒のひとり

Saint Apostle James, son of Zebedee (+44)

ゼベダイの子のヤコブは新約聖書に登場するイエスの使徒の一人で、使徒ヨハネの兄弟である。アルファイの子ヤコブと区別して「大ヤコブ」とも言われる。聖人の概念を持つ全ての教派で、聖人として崇敬されている。正教会では聖福音者イオアンの兄聖使徒イアコフと呼ばれる。

『マルコによる福音書』1:19-20によるとヤコブは父ゼベダイ、兄弟ヨハネと共にガリラヤ湖畔の漁船の中で網の手入れをしていたところをイエスに呼ばれ、そのまま父と雇い人を残してヨハネと共に弟子になった。彼ら二人は「ボアネルゲス」(雷の子ら)とよばれていたようである(→ゼベダイの子)。ヤコブはエルサレム教会においても一貫して中心的な立場を占めていたが、『使徒行伝』12:2によるとユダヤ人の歓心を買おうとしたヘロデ·アグリッパ1世によって捕らえられ、殉教したという。44年頃のことと推定される。

正教会での記憶日は4月30日(ユリウス暦を使用する正教会では5月13日に相当)。

ソース:

『正教改暦 2008年』日本ハリストス正教会教団発行




<>








パイシオス長老との談話」から序言と伝記

アタナシオス ラコヴァリス 著

The life of Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)

私は長老パイシオス神父のことを12年間以上知っている。彼が私を自覚的な正教信徒にしてくれたのだ。彼は信仰においても実生活でも私を導いてくれ、生活上のあらゆる問題点について助言してくれた。

私は聖なる山(アトス)で7年間以上暮らすという祝福を得た。5年間はAthoniada Schoolの教師として、そして2年間はイコン画を学ぶために。私は長老のすぐそばにいたかった。彼に会った瞬間から、私は彼にひきつけられずにはいられなかったからだ。

私はしばしば言ったものだが、彼は母よりも私を愛してくれた。私がこんなことを言うのを母が許してくれるように。母は実際私をどんなに愛してくれただろう。しかしパイシオス長老の愛は普通の人間的愛よりはるかにまさるものであった。彼の愛は、天的なものであり精神的なものであった。

パイシオス神父は私に対してまるで実の父親、いやそれ以上の者のように接してくれた。私はしかし自分自身を放蕩息子のようにいつも感じていた。私は彼を“父”とはとても呼べないし、私が彼の精神的な息子であるなどとは、とてもではないが言えないのだ。その理由だって?私は彼にちっとも似ていないからだ。私は、彼の美徳にならって心からの善意を持とうと思っても、とうていできない。「もし私を父と呼ぶことを願うなら、私の業にならえ」と言われている。じゃあ、私はパイシオス神父にならったか?とんでもない。だから彼を父と呼ぶ権利は私にはない。長老の徳は彼の徳で、私自身の意気地のなさは私の意気地のなさなのだ。

彼と会話した後、そう頻繁ではなかったけれど、彼の助言を覚えておくために彼の言葉を書きとめておいた。ふつうは会話の直ぐあとで、あるいは数時間後に、たまには1日か2日後に、私は長老の言葉をそのまま書きとめた。これらの言葉を書きとめる時には、それがいつ話されたかに注意して日付を入れた。これらの言葉は彼の庵を訪問した時あるいは徹夜祷のあと彼と話す機会があった時に話されたものである。

長老が永眠された今、彼の助言を私の信仰における兄弟姉妹に伝えることが私の義務だと考える。多くの人達がそれらの助言を実際生活の中に取り入れたいだろうし、それによって私よりずっと利益を得るだろうと私は信じている。幸いなる者は言葉を生きる人であり、言葉をただ聞いたり読んだりするだけの人ではないのだ。

祝福された長老パイシオス、この世での名前アルセニオス エツネピデスは、1924年7月25日にカッパドキアのファラサに生まれた。彼はコニツァで成長し、アトス(聖なる山)で修道士になり、そこで彼の人生の大半を過ごした。彼は1994年7月12日に亡くなり、テッサロニカのソウロウテにある神学者ヨハネの「聖なるいおり」に埋葬された。まだ生きている間に彼は多くの人々によって聖人と考えられていた。彼のあらわした奇蹟について数百のサインつきの証言がある。

パイシオス長老の伝記的記事

祝福された長老パイシオス、もともとの名アルセニオス エツネピデスは、1924年7月25日に小アジアのカッパドキアのファラサに生まれた。その地のギリシア人達は2500年間ずっとその地に暮らしていたのだが、小アジアで争乱が起こり、トルコ人による迫害と虐殺から逃れるため難民としてギリシア本土への避難を余儀なくされた。長老の家族は結局ギリシアのエピロス州のコニツァに根をおろし、そこで彼は成長した。

彼はまだ子供の頃から信仰的な傾向を示した。「私は朝わずかな水をもって家を出て、山の岩の上に登り、登塔者[訳註;シリアのシメオンなどのように、塔の上で日夜断食と祈りを続ける修道士のこと]のように祈ったものだ。(彼は笑った)…午後になってお腹がすいてくると…考えを変えた…。『ちょっと食べるために家に帰ろうか』、そう言って岩から降りたものだ」。

…「少し大きくなると、同年代の仲間とつきあわなくなった…彼等はかわいそうな小鳥を殺し、その他にも私の好まないことをするから。こうして、私はもっと小さな子供達と仲間づきあいを続けた。小さな子供達は、私が年長なので私をリーダーにしてくれ、私が彼等とつきあってくれるのを喜んだ。私は断食もした…小さな子供達も断食したがった…こうして、私は彼等の母親達と問題を起こした…。『彼とつき合わないように、彼はおまえを肺病にしてしまうよ』、と母親達は小さな子供達に告げたものだ」、と笑いながら彼は私に話してくれたことがあった。

若い頃から彼はそのような性向を示したが、それは聖名をいただいたカッパドキアの人、聖アルセニオスが彼について預言したとおりだった。彼は信仰に大きな関心を払い、祈り、断食、そして修道的生活に対するあこがれをもって子供時代を生きた。

「…想像してごらん。鐘が鳴り出す前の、朝とても早く私が教会に行っていたことを、そして神父さんが教会を開けに来るのをよく待っていたことを…。私はそのようなあこがれを持っていた…。かつて、私の兄が、私を少し矯正しようとして、教会にそんなに入れ込むべきじゃない、と私に向かって叫びはじめた。そして教会の本、シノプシス[著者註;ナッセルの「Devine Order礼拝書」に相当するギリシアの礼拝書]を取り上げ、ベッドの上に放り投げた…。私は彼のこの行動のために度を失い、私の子供っぽい目からみてもそれを不信心ととらえた。そして激しくそれに反応した…」。

パイシオス神父はこのように子供時代を過ごした。彼は修道的生活にあこがれていたため、このような生き方がますます強められていったのはごく自然なことだった。

あるとき彼は、私を正しくしようとして、次のような話しをした。「…私が若い頃、女の子のことで人の噂にならないように、いつも下を向いて通りを歩いていたものだ…。私は誰が隣を歩いているか見ようとはしなかった…時には知り合いや親戚がそばを通り過ぎ、私が挨拶をしないという悪い噂になった…昔、私のいとこの女性が私の母親に不平を言ったことがある。『アルセニオスったら、私に挨拶しないのよ』、そして私の母はそれを私に告げた…。私は母に言った。『母さん、道で女の子を見つめるより他に、僕には他にやる事がないとでもいうの』」。

彼は兵士として戦争[訳注;第二次世界大戦あるいは内戦]に4年間行っていた。「何か危険なことが企てられるたびに、私は行くようにした。もし、私が冷淡に断ったために誰かが代わりに行って、もし殺されでもしたら、私の良心は生きている間中ずっと苦しむだろう。一方、自分が戦闘で殺されるのはたった1回だけだ」。

「ある時、軍の宿営地が爆撃された。私は逃げて泉近くの水たまりのくぼみに自分の体を押し込んだ。少しすると誰かが来た。『入れる?』と彼は聞いた。『入りなさい!』と私は答えた。そのくぼみは明らかに1人分しかなかった。その男は自分自身を守ろうと必死になり、恐れのあまり私をくぼみの外に押し出しつつあった。それからもうひとりがやって来た…。私は完全に外に押し出された。かまうものか、『神様が備えて下さるだろう!』…私が外に出るやいなや1発の弾丸が通過し、私の頭を剃った(笑い)…こんな風に、皮膚に当たるのを丁度防ぐように、私の髪に1本の直線を残した…もし、弾丸が1cm低かったら私を殺していただろう…。私は神様の備えに驚いた」。言い換えると、彼が修道士になる前でさえ、長老の自己犠牲的な心は、仲間の人間に対する愛のためならば死んでもかまわないという領域にまで達していたのだ!!!…我々、同時代の人間は、このような心から何と程遠いことだろう…。

「小隊にひとりの仲間がいて、この人は神様を引き合いに出して誓うのだった…彼のやりかたは間違っていた…何回も私は彼に誓わないように言ってきかせた…私はそのことで彼と喧嘩さえした…彼は私の言うことにも将校の言うことにも耳をかさなかった…彼は神様を引き合いに出して誓うことを続けていた…。あるとき軍の宿営地で、私達が働いていたそのど真ん中に1発の爆弾が落ちた…。誰も何も被害をこうむらなかった!!!…ただ、誓っていた人にのみに、とても小さな破片が当たった…どこにだと思う?彼の舌に!!歯にも、唇にもほんの少しも触りもしなかった!!ただ彼の舌のみが膨れ上がった…それは西洋カボチャのようになり、口の外にぶらさがるようになった!…戦争中はそのような驚くべき事がたくさん起こった。そのために、軍の宿営地では敬神の思いが大きくなった…」。

「…あるとき私達はテッサロニカで行軍しようとした。将校達は私達に歌を歌うように命じた;兵士達は歌おうとしなかった…将校達はまた命じた…しかし、またも沈黙…将校達は怒った。私は兵士達に『なぜなんだ、何か言おうよ』と言ったのだが、彼らは何も言おうとしなかった…私達が軍の宿営地に戻った後、将校達は私達を罰した…彼らは私達の腰から上を裸にし、ぐるぐる回りに走らせ、ベルトで鞭打った…命令違反は戦時では深刻な不服従だったのはわかりますね…私には責任はなかったのだけれど、私も彼らと一緒に走った…将校達は私に向かって叫び、走っている集団から抜け出るように私をさし招いた。しかし、私はそれを見ないふりをして集団から出なかった。私だけでは出たくはなかった…将校達が私達全員を許すか、それとも私も兵士達と一緒に走るか、そのどちらかしかない」。若い頃、彼はそのようなやり方で行動していた。彼の自己犠牲と勇敢さによって、彼は、兵士達からも将校達からも、全員の大きな感謝とともに愛と尊敬を集めた。

「…その後私は働き、未婚だった姉妹のために結婚持参金を作った。私は修道士になるために彼女が結婚する前に家を離れた…彼女が結婚することが神様のご意志かどうか、私には分からない…彼女自身は結婚しないことを望んでいたかもしれない…」。

30歳前後に彼は聖なる山(アトス山)の修道士になった。彼は多くの試練にあった。しかし、彼には神様からの大きな助けもあった。彼はまたコニスタの聖ストミオン修道院で禁欲主義の修練をした。そこでは彼は自らの手で野生の熊に餌をやった。聖霊が彼の魂を平安にし、それが野生の動物をも安和にしたのである…「…野生の動物でさえ、もしあなたが愛をもって近づけば、それを理解し、あなたを悩まさないだろう…」と彼はかつて私に話したことがある。しかし若い人でも年寄りでも、彼のこの行動を真似てはならない。なぜなら、私達の魂の情念の野生性が「野生」動物を乱暴にさせ、私達を危険にさらすだろうから。

彼は約3年間シナイ砂漠の聖エピスチメの洞窟にいた。日曜日ごとに彼はふもとの聖カテリーナの修道院におりていった。その間の1週間のあいだ、彼はひとりで砂漠の静寂の中で苦行していた。時々一人あるいは二人の遊牧民が修道士達を訪問したが、彼は持っていたわずかのものから彼らに寄付を与えた。水でさえわずかなものであった。「…そこの砂漠の乾燥の中で、私は神様の備えを讚栄した。ある岩にひとつの亀裂があって、少量の水が一滴ずつ滴っていた。そこに私は小さなカンを一晩置いておき、水を集めた…私には十分な量だった…それ以上はまったく必要なかった」。

シナイ砂漠でパイシオス長老は多くの聖なる経験をしたが、悪魔とのはっきりとした戦いもまた経験した。一般的にいって、私は長老の修道的戦いは私達の怠惰な時代、−そこには怠惰な人々と思考を訓練することを怠る風潮があるのだが−、の限度をはるかに超えていたと信じている。長老は、しかし偉大な闘争者だった。彼の闘争は、4世紀の古代の修道士達の闘争とのみ比肩できる。

私達、考えを訓練することを怠っているもの達にとって、その闘争のことを聞く事さえ恐ろしいことである!!…

謙虚な長老、ポルフィリオス(マラカサ)がパイシオス長老について以下のようにおっしゃったのを私は聞いたことがある:「パイシオス神父の受けた恵みは私の受けたものよりずっと価値のあるものです。なぜなら、彼は闘争を通じて得たのに対して、私の場合は神様が人々を助けるようにと若い頃から私に恵みを与えて下さったからです…神様はパイシオス神父のような聖人を400年ごとに一人地上に送って下さる!!!…」

聖なる山において彼は禁欲主義を修練し、彼の人生の大半を過ごした。神様が彼に贈った能力は沢山あった。彼には治癒の賜物があった(彼は多くのしかも多様な病気、ガン、生まれついての麻痺、その他、から多くの人々を癒した)、彼には悪鬼に対抗する賜物があった(彼がまだ生きている間に多くの人々から悪鬼を取り除いた)、彼には預(予)言の賜物があった(彼は、多くの人に将来彼ら個人レベルで起こる事柄について告げた。また、彼はまた私達の国の歴史に将来起きるであろうことも預言した)、彼には透視の賜物があった(彼はそれぞれの人の心を深く、その人が自分自身を知るよりさらに明瞭に、知っていた;この理由によって彼は正しく正確に助言し、それぞれの人は必要な言葉に耳を傾けた)、彼には精霊を見分ける賜物があった(彼はある精神的な出来事が神から来たものか、あるいは試み迷わせようとしている悪魔からきたものか、を厳密に知っていた)、彼には明察力の賜物があった、彼はそれぞれの場合に、神の意思が何であるか、そしてそれを明らかにするべきかどうかについて知っていた。それぞれの場合に、彼はどれが良くて、正しいものであるかを知っていた。非精神的な事項でさえそうであった。例えば、ある時ひとりの大学の医師が病院のために2種類の機械のうちどちらかを選択しなければならなくなり、議論していた。彼は決める事ができなかった。彼はパイシオス長老に尋ねた。長老は彼にこう答えた。「この機種を選びなさい。なぜなら、その機械はこんな場合に使えるこんな機能を持っていて、あなたがあれこれと使えるように、こんなふうに働くから」。いいかえれば、彼は小学校も修了していないのに、彼は学者と技術者を合わせたような特別な人間であるかのようにその医師に話したのである!!!もしこれが神様からの啓示でなければ、一体何だろう?…彼には神学の賜物があった。彼が聖人、天使、処女マリアについての多くの精神的経験から、また造られざる光を一度ならずたびたび見た経験からも、彼は真の神学者となっていて、神の神秘について深く知っていた。かつてある大学の神学の教授が賞賛とともに多くの人に次のように話していた:「長い間をかけて、私がいくら試みても答えを見つけられないような10問の神学的問題を私は集めてきた。そこで私はパイシオス神父のところに出かけて行って、これらの難問のすべてについて質問した。30分のうちに彼はすべてについて解決してしまった!…」

もし、私達がパイシオス長老に与えられた賜物とその力を数えあげようとするならば、きりがないだろう。これが誇張だとは考えないでほしい…いや、それは現実なのだ。神様ご自身がそんなにも多くの賜物でパイシオス長老を飾り栄誉を与えたのだ。そして神の賜物は、神ご自身のように終りなく無制限なのかもしれない。

すべてのパイシオス長老への賜物のうち、私を最も印象づけたものは彼の愛であった。完全な自己犠牲を伴った、制限のない愛、ためらいのない愛。火のような、甘美な、無限の力をもった、天の愛。彼の内部からそそぎ出る愛、それには差別はなく、善人も悪人も等しく暖かく励ますような愛であり、彼の友も敵も、ギリシア人だけではなく外国人にも、価値ある人だけではなく価値ない人にも、正教信徒だけではなく他の信仰をもっている人にも、人間だけではなく他の動植物にも、何よりも神様に愛をもっていた。これは人間の愛ではなかった。そのような愛はただ聖霊のみが人間の心の中に生じさせることができる。人間の「愛」はとても小さく自己追求的で、ひどく一時的かつ不安定で、ひどく自己中心的かつ圧政的で、いとも容易に怒りと憎しみに変わるので、パイシオス長老の愛とこれらの人間の「愛」を比較することは私達にとって恥ずかしくも不正なことである。

彼のまわりに人々を集めたのはこれらの賜物であり、パイシオス長老の愛であった。毎日、ひっきりなしに彼の庵に多数の人々が訪れた。長老は人々の苦痛、苦悩、問題を集め、その人々に解決法、喜び、平安を返した。何時でもまたどこにでも必要とあれば、彼と神様は彼がどこに行くべきかを知っていた。彼は神的な権威をもって奇跡的に調停し、解き得ないことを解いた。

パイシオス神父に関係した奇跡的な物語について署名つきで保証している人々が多数いる。関係した書籍も印刷されてきた。しかし、奇跡的な物語についてしゃべらなかった人々も沢山いるし、パイシオス長老が巧妙に隠した奇跡的出来事はもっと沢山ある。パイシオス長老は人々に対する神様の贈り物だった。

彼の名声はギリシアを超えて広がった。オーストラリアから、アメリカから、カナダから、ドイツから、ロシアから、ルーマニアから、フランスから、アフリカから、そしてあらゆる所から人々はやってきて彼に会い、彼の助言を求めた。そしてこれらのことについて、ラジオ、テレビ、新聞、などのマスコミが彼の生きている間に述べ立てる事はなかった。マスコミは教会の人達の醜い事だけを映し出し、大げさに書き立てる。マスコミは良い物事、驚くべき物事、そして聖なる物事について悪口を言う事ができない。そこでマスコミはこれらの物事を無視し、人々には聖なる出来事を知らせないようにする。しかしながら…人々には自分自身の手段があるし、神様はご自身の手段をもっておられる。パイシオスのうわさは彼の善行と奇跡に仰天した人々の口から他の人々の耳に広がったのだ…神様ご自身がパイシオス長老を突き出したのであった。

彼のもとを訪れる事が出来ない寝たきりの病人達や婦人達と会うために彼がアトス山を出た時には、数千人もの人達が彼の祝福を得るために来たものだ。車で来た人達はテッサロニカのソウロウテにある神学者聖ヨハネの女性修道院に常時来てはまた去っていった。道路の脇に駐車している車の列は1kmを超えた。

数千通もの手紙も彼のもとに送られてきた。「精神病の問題、ガン、または離散した家族。これら3つのうちのどれかが現代の人々を責立てている苦難だろう…人々はこれらについて私に手紙を寄越した」。面談によってあるいは手紙によって、その苦痛はパイシオス長老に流れ込んだ。そして彼はその苦痛を自己犠牲によって担った…真剣に。彼は他の人々を愛していたので他人の苦難を彼自身のものにした。他人が苦しみを受けているのを、彼は見過ごすのを欲しなかったし、無関心ではいられなかった。もし可能ならば、彼は他人の代わりに十字架の重荷のすべてを肩に担ったことだろう。

パイシオス長老は他人を癒したけれど、彼自身の病いを治して下さるように神様に懇願しようとはしなかった…むしろ病気に耐える事を望んだ。「…精神的な1フランかそこらを稼げるように…老年だから」と彼はチャーミングに言うのだった。まだ兵士だった頃に彼は足に凍傷を受けたのだが、手術で切断しようとする医師から逃れて足底に傷を負ったまま暮らした。「まるで釘を踏み抜いたようだった…そのため、ある時にはかかとに、時にはつま先に、また時には側面に体重をかけたものだ」と笑いながらその不運を冗談にして私に語った…。しかし、彼は教会の椅子には座らなかった…徹夜祷ではずっと立ち通しだった。このようにして彼は若い人達に難事に取り組む精神をも教え込んだ。

パイシオス長老は多くの病気にかかったが、雄々しさと難事と戦う精神的訓練によって病気のすべてに耐えた。彼は苦痛を笑い飛ばし、むしろ楽しいものにした!!…

かつてヘルニアにかかった時には、彼はぼろ切れでお腹をしばり、医者には行かなかった。私は気も転倒する思いで医者に行くように頼んだ。すると彼は私に話し始めたのだが、それが病気を笑い飛ばすような冗談だったので、しまいには私も笑い始めてしまったのだった。

最後に、老年になって彼はガンにかかった。これは、まわりの人の病気を軽くするためにパイシオス長老がそれを神様に頼んだためだった、と私や他の多くの人達は信じている。彼がかつて私に語ったことがあるからだ。「病人が治るように神様に祈る時には、神様に次のような定めをお願いしなければならない、『彼から病気を取り上げて私に与えて下さいますように』または少なくとも『彼の手助けが出来るように、彼の病気の一部を私に与えて下さい』…我々の弱さを知る善なる神様はその病人を治すのだが、私達には何も与えないかもしれないし…時には何かを与えるかもしれない…もし、我々がそれに耐えられると神様が見て取るならば…。いずれにしても我々の祈りが聞かれるためには、そのような定めを受けなければならない…」。

この心の持ちようは自己犠牲の精神である。そしてパイシオス長老はそれを十二分に持っていた。彼は訪れた何千もの人々の苦痛と病気を自分自身に引き受ける事を望み、それらを喜んで自分の身に引き受けた。彼の生命は仲間の人間達のための犧(いけにえ)だった。

彼は自分の病気については話さなかった。彼は我々を動揺させないように病気を隠したし、それを隠し通す事が出来ないで我々がそれに気付いた時には、それがあたかも何か重要ではないかのようなふりをした。ガンに対しても同じだった。ついには出血と衰弱が始まった。

彼が病気である事は皆が気付いていた。我々は彼に医者のところに行くように頼んだのだが…しかし、駄目だった…そこで病気なのが分ったからには、医者の方がアトス山に来るようになった。検査を受けるのを彼が許すように説得するために。一度アテネからある病理学者の大学教授がパイシオス長老を訪問するためだけに来た事があった。私はその医師を長老の庵に案内した。しかし、とうとう彼もどうしても長老を検査することが出来なかった。多くの医者が来たが、誰もうまく説得出来なかった。

しまいには様々な高位の聖職者までもが彼に医学的処置を受けるように圧力をかけはじめた。府主教座下自身が「検査を受けるように」と命じたと言われている。

ある医師が、信仰のある人だが、長老の感性を理解して彼に以下のように告げた。「私はあなたを治療するにあたって、農夫の保険しか持っていない人に対して行うような治療をし、それ以上のことは決してしないようにします」。思うに、最も貧しい人が受ける以上の医学的処置を受けるのを長老の感性としては決して許したくないのだろう。長老は貧しい人々より手厚い治療を受けるのを不正だと考えていた。そして確かにこれは不正義であり、我々現代の人々が持つ無慈悲さのさらなる印である。我々と近親者は最高の医者と最高の病院に行けるのに対して、ひどく貧しい人々は病院の大部屋の粗末な簡易ベッドに投げ込まれるし、もっと貧しい外国の幼児達は解熱剤がないために死につつある。この不正義、つまり罪深い人間の邪悪な精神に満ちたこの世のもたらしたものは、今日世界のいたるところに存在する…しかし、天なる正義は物事が本来あるべきところに戻るのを忍耐強く待っている。アーメン。

最終的にはパイシオス長老はガンの手術を受けた。私の考えでは、彼は従順のために手術を受けたのであって、彼自身の望みには反していたのだと思う。彼が病気に直面した時の、このあらゆる態度を通じて、我々が学ぶものは多かった。

恐ろしい苦痛が襲うと、彼は叫び出さないように、また他の人々をうろたえさせないように聖歌を歌うのだった。彼は極度に敏感だった。彼は他の人達の重荷になったり他の人達の気持ちをかき乱すことを望まなかった。

ある人が長老を少しでも楽にしようとして、長老には何も告げずに、長老の苦痛の一部をその人に与えてくれるように神様に祈っていた。その人と長老が会った時、何も話さないうちに長老が彼に言った:「神様にそのような事を願ってはいけない…この苦痛はあなたには耐えられるものではない…願ってはいけない…耐えられないだろう…神様にお願いしてはならない」。

彼が死ぬ2、3日前、我々は皆で彼を訪れ、最後の祝福をいただいた。彼は1994年の7月12日に永眠しテッサロニカのソウロウテにある神学者聖ヨハネの女性修道院の中庭に埋葬された。

彼の墓は今日では人気のある巡礼地になっている。この数年私は何回もそこを訪れているが、その度にいつでも人々が崇敬しているのをみかけた。

そして彼の死後、パイシオス長老は彼の墓でも他の場所でも奇跡をあらわし続けている。私は、彼の死後に起こった出来事が文書で記録されて世に出ることを望んでいる。それは神の栄光のためであり、現代の信んじない人々の利益になるからである。彼らには、精神的に非常に大きな欲求があり、それを満たす必要性があるのに、彼ら自身はそれが分からないからである。

我々すべてが彼の祝福をいただけますように!

テッサロニカ 1999年

ソース:

http://nagoya-orthodox.com

http://nagoya-orthodox.com/ja/パイシオスの伝記.html

名古屋正教会 NAGOYA ORTHODOX CHURCH

<>



聖アグネス St Agnes (291年 – 304年1月21日)

13歳 で殉教したと伝えられる。ローマの聖アグネスや聖イネス、聖女アグネス、聖女アニエスとしても知られている。

また、彼女の名前はラテン語で子羊を意味するagnus(アグヌス、アニュス)と似ていることからしばしば子羊と一緒に描かれるが、実際はギリシャ語の形容詞で“処女の、純潔な、神聖な”という意味のhagnē (ἁγνή) に由来しているとされている。

聖アグネスは291年にローマの上流階級でキリスト教徒の一家に生まれた、うら若く聡明な美少女で、13歳になった304年1月21日にローマ帝国皇帝ディオクレティアヌスの統治下で殉教した。

長官センプロニウスは、アグネスが自分の息子と結婚することを望んだが、アグネスがそれを拒否すると、センプロニウスは彼女がキリスト教徒であると告発した。アグネスは非キリスト教の女神 (Vesta)に供物を捧げるか、売春宿に行くかの選択を迫られたが、その信仰から要求を拒否をした。アグネスの衣服は剥ぎ取られ、一糸まとわぬ姿で売春宿へ連れていかれたが、神により彼女自身の髪を伸ばされたため、アグネスの身体は足まで隠された。アグネスが売春宿に入ると、神から遣わされた天使が待っており彼女を守り取り囲んだ。男たちは彼女を見ることも近づくこともできなかった。アグネスは火刑に処されることとなった。

士官は大きな火をおこすことは出来ず、アグネスを焼くはずの炎は二つに別れてそれぞれ争い、彼女は火を感じることはなかった。その後、士官はアグネスの身体を剣で突き刺すことを命じ、アグネスは殉教した。

聖アグネスは若い少女たちの守護聖人であるが。

<>



アラスカの聖インノケンティ

Saint Innocent of Alaska (+1879)

アラスカのインノケンティ(1797年8月26日 – 1879年3月31日)は、正教会の主教であり聖人(成聖者)。

アレウト語(Aleut language)の表記法も考案し翻訳を行いつつアラスカとシベリアへの宣教を行った事から、「北米の亜使徒」「アラスカとシベリアの光照者」との称号が付される事がある。晩年にはモスクワ府主教も務めた。

同名人物との区別の際、地名·尊称のほか、姓であるヴェニアミノフ も用いられる。

日本の函館を訪れた事があり、日本で初めて主教祈祷による聖体礼儀を行った人物でもある。また、日本の亜使徒聖ニコライとニコライエフスクと函館で会っており、ニコライに日本語学習に専心するよう指導した。

生涯

幼年 – 青年時代

1797年8月26日にイルクーツク州アンギンスコエ村 に生まれる。俗名はイヴァン·エヴセエヴィチ·ポポフ。後に司祭となった際の名として記述される「イオアン·ヴェニアミノフ」の「イオアン」は、ロシア語表記「イヴァン」の、教会スラヴ語再建音によるものである。

1807年にイルクーツク神学校に入学。1817年の卒業前に結婚し、輔祭となってイルクーツクの生神女福音聖堂に奉職。1818年に神学校を卒業すると、教会学校の講師に任じられ、1821年には同教会の司祭に任じられる。1823年までの短い任であったが、人々の尊敬と信頼を得ていたと伝えられる。

アラスカ宣教·アレウト語による翻訳と執筆

1823年5月7日、新しい任地であるアリューシャン列島の島、ウナラスカに向かってイルクーツクを出発するが、交通機関の発達していない当時、旅は困難を極め、目的地であるウナラスカについたのは翌1824年7月29日のことであった。

到着してからまず聖堂を建てるが、大工としての才能もあったイオアン(インノケンティ)は原住民に建築を指導しつつ、自らも工事に参加。『主の昇天聖堂』が完成する。

また、アレウト語(Aleut language)を学んだ。当時文字を持たなかったアレウト語にアルファベット表記法を考案。正教要理、福音書をアレウト語に翻訳。『天国への道しるべ』(”A Directive of the Way to the Kingdom of Heaven”)もアレウト語で書いた。

管轄していた教区は広大であり、その宣教·指導には大変な困難があった。島から島へと、バイダルカと呼ばれるカヌーで海峡を横断して管轄区を回ったが、そのカヌーは一人が座るのが精一杯という代物であり、風雨の中、海をカヌーで渡る事も珍しくなかった。風雨の中で身体全体を濡らしてしまった後は、ユルタと呼ばれるゴミの中で休息をとるのが慰めであった。そのような状況の中、各地で聖体礼儀·痛悔機密などの奉神礼を司祷し、説教を行って回った。

イオアン神父(インノケンティ)一家は最初、泥土で作った小屋に住んでいたが、その後自分で木造小屋を建て、柱時計、家具も自分で作り、漁業用の網まで自分で作った。この間、アリューシャン列島の地誌·民俗の研究を行い、その成果は現代でも貴重な資料となっている。

1834年、10年間住んだウナラスカを去り、シトカに移る。ここでも同様の苦難の中で宣教を行った。

1839年、家族をイルクーツクに帰し、自分はサンクト·ペテルブルクにアレウト語の翻訳書を出版するために出立した。モスクワ府主教フィラレート(後にフィラレートも列聖されている)の配慮などにより、この出版は実現した。

アラスカ主教·モスクワ府主教

サンクト·ペテルブルク滞在中、イオアン神父は妻が永眠したという報せを受ける。これを知った聖務会院と皇帝ニコライ1世は、イオアンに修道士となり、さらに初代のアラスカおよびカムチャッカの主教となるよう盛んに勧めた。イオアンは長い祈りの後、この申し出を受けた。

こうして、当初は妻帯司祭であったイオアン神父であったが(正教会では司祭の前段階である輔祭に叙聖される前であれば結婚が可能)、妻が永眠したことで推されて修道士となり(正教会では妻帯司祭が妻の死没後に修道士となる事は珍しくない)、1840年に初のアラスカ主教となることとなった(主教は修道士から選ばれる)。

修道名であるインノケンティは、シベリアの最初の正教伝道者であるイルクーツクのインノケンティに因んだものである。

1841年、主教となったインノケンティはシトカに戻る。伝道学校、小学校、孤児院を設置。1848年には天使首ミハイル大聖堂を建立した。この大聖堂は1966年に類焼のため全焼してしまったが、1976年に原型に忠実な形で再建された。

1850年から1860年にかけてシベリアの原住民とアムール河流域の原住民に伝道を行った。その中には現地の朝鮮人も含まれていたとされる。カムチャッカにも赴き、その際暴風雨を避けて函館に寄港した折、日本にいたニコライ·カサートキンと出会い、助言を与えた(後述)。

1862年、シトカからシベリアのブラゴヴェシチェンスクに主教座が移り、インノケンティも住まいを移した。1867年、前任のフィラレートを継いで、当時ロシア正教会で最高の地位であるモスクワおよびコロムナの府主教となる。インノケンティは元は妻帯司祭であり学歴も高くなかったが、その伝道活動の熱心さと成果が評価されての選出であった。

府主教となったインノケンティは1870年、ロシア正教会史上初となる伝道機関を組織化し、自ら伝道協会協会長となった。各地向けに作られた伝道会社の伝道対象地域としては、中国、ウラル·アルタイ、シベリア、日本、朝鮮が挙げられる。

1879年3月31日永眠。不朽体は至聖三者聖セルギイ大修道院の生神女就寝大聖堂に安置されている。

日本のニコライとの出会い

1860年にニコライエフスクで、1861年に函館で、インノケンティと、日本に正教伝道を行おうとしていたニコライ·カサートキンが会っている。現場に居る者の貴重な伝道の体験談を、ニコライはインノケンティからニコライエフスクで聞く事となった。
インノケンティ大主教(肩書き当時)が函館に立ち寄ったのは、軍艦でカムチャッカに向かう途中暴風雨に会ったため函館に寄港したことによるものであり、多分に偶発的であった。函館でインノケンティは領事館内の聖堂で聖体礼儀を行っているが、主教祈祷による聖体礼儀は日本におけるものとしてはこれが初めてである。

函館で二人が会った時のものとして、以下のようなエピソードが伝えられている。

インノケンティ大主教がニコライの部屋を訪れると、ニコライの机上にはフランスとドイツの神学書が置かれていた。インノケンティがニコライに、何のためにこれを読んでいるのかをたずねると、ニコライはフランス語·ドイツ語を忘れないように読んでいると答えた。インノケンティは「君は今こんなことをしている場合ではない。専ら日本語を学ぶように」と叱ったと伝えられる。

それまでもニコライは日本語を学んでいたが、この後さらに日本語の学習に熱を入れ、のちに新約聖書·祈祷書を、中井木菟麻呂とともに、漢文訓読体に近い文体で翻訳するまでに日本語に習熟した。

称号·呼称

英語媒体(主にアメリカの正教会に係るもの)では北米などへの宣教の業績が重視されて「北米の亜使徒(Equal to the Apostles of North America)」「アラスカとシベリアの光照者(Enlightener of America and Siberia)」といった呼称が使われる傾向がある。

これに対しロシア語媒体(主にロシアの正教会に係るもの)ではモスクワ府主教としての経歴が重視されて「モスクワおよびコロムナの府主教·成聖者インノケンティ」と呼ばれる傾向がある。

他方、「アラスカとシベリアの光照者·モスクワ府主教(Enlightener of America and Siberia and Metropolitan of Moscow)」のように、両者が合わせて使われる事もある。

こうした呼称の地域差は本記事のインノケンティに限らず正教会の聖人によくみられるもので、例えばアンドロニク·ニコリスキイはロシア正教会では「ペルミの主教」として記憶されるが、日本正教会では「初代京都の主教」として記憶される。

<>








天国や地獄はあるんですか

Is there Heaven or hell?

キリスト教でいう天国を、なにか別世界にある特別な場所と考えてはなりません。天国は「神の国」を言い換えたもので、神さまと人間が直接ふれあい、人々が神さまの愛のもとに集う生き方そのものです。その神の国は、教会という形ですでに始まり、たえず成長していますが、完成するのはイイスス·ハリストスの再臨の時です。その時、世界は全く新しい輝きに満ちたものとして造り替えられ、最後の審判で祝福された人たちは「永遠の生命」のあふれる「神の国」へ入れられます。

地獄も同様です。神さまに背き、人を憎んだり、争ったり、ひとりぼっちの世界に閉じこもったりしている生き方そのものが地獄です。生きている間に、そういう自分勝手な、愛を忘れた生活をしてきた人たちは、最後の審判の時、今度は目に見えるかたちで、神さまが示される「永遠の地獄」に入らなければならなくなります。

<>



なぜみんな十字架を持っているのですか

Why does everyone have a Cross?

目に見えない神の働きを、目に見えるかたちや動作で象徴するものは、教会にはたくさんあります。十字架も神の子「ハリストス」の救いの象徴ですし、十字を胸に手で描くのも、ハリストスへの信仰の象徴です。他にも数え切れないほどの象徴が教会にはあります。

ソース:

http://nagoya-orthodox.com

http://nagoya-orthodox.com/ja/中学生の質問にお答え.html

名古屋正教会 NAGOYA ORTHODOX CHURCH

<>



お祈りの仕方を教えてください 

一日何回祈りをささげるのですか

How to pray and how many times?

教会で日曜日に信徒が集まって行う「聖体礼儀」というお祈り(礼拝)が中心です。ここでは、神さまを讃え、感謝し、世界中の人々の平安を祈り、パンとぶどう酒をささげ、神さまのお力によって、パンとぶどう酒そのままでありながら「ハリストスの体と血」に変化した「聖体血」を、信徒みんなで分かち合って食べます。

家庭でのお祈りも、朝晩食事の前などに行われます。

修道院では、毎日、晩課、晩堂課、夜半課、早課、一時課、三時課、六時課、聖体礼儀、九時課が繰り返されます。


<>


教会案内

(各教会の案内は教団ホームページにリンクしています。)

https://www.orthodox-sendai.com/churches

Eastern Orthodox Christian Churches in Japan

<>




日本での正教伝道は江戸末期1861年

Orthodox missionary work in Japan

日本での正教伝道は江戸末期1861年(文久元年)、函館のロシア領事館付司祭として来日した聖ニコライ(イオアン·デミトリヴィチ·カサートキン)に始まる。初代の信徒は東北出身者が多く、そのため東北北海道の地には正教会が数多く点在している。正教会は、ギリシャ正教、ロシア正教会などとも呼ばれるが、東方正教会の流れをくむキリスト教会である。

ソース:

https://www.orthodox-sendai.com

ORTHODOX SENDAI

日本ハリストス正教会教団 

東日本主教々区宗務局

<>



旧約聖書=イエス·キリスト登場前。 新約聖書=イエス·キリスト登場後

Holy Bible: Old and New Testament

新約聖書=イエス·キリスト登場後

聖書の原典は、旧約聖書がヘブライ語で、新約聖書がギリシャ語で書かれてる。

なので、「英語聖書」とか「日本語聖書」というのは、正確には「各国語に翻訳された聖書」。

ソース:

http://orthodoxchurchinjapan.blogspot.com

日本正教会 ORTHODOX CHURCH IN JAPAN

<>



正教の霊的勧告集

Orthodox spiritual recommendation collection

謙遜は凡(およそ)の徳行の基礎なり。
謙遜とは啻(ただ)に言行に於いてのみならず凡の動作及び口気に於いて謙遜なるを指す。
或る者に対して謙遜にして他の者に対して倨傲なるなかれ。
その友たると敵たると貴人たると賎人たるとを問わず
凡の人に対して謙遜なれ。
真の謙遜とは斯かる謙遜を指す。(金口イオアン)

愛のあるその所にのみ忍耐はあり…
愛を身に纏いたる人に在りて一つの難事なし、
愛は困難を知らず。(金口イオアン)

神(しん)の一なるとは内心の一致を指す…
ただ和平を守るに止まらず
汝らの間に神(しん)の一、心の結合、一つの神、一つの霊のあらん事を務めよ。
老若、貧富、男女の別なく
皆牧者の指導のもとに在りてはハリストスを中心として一とならん。
一なる神の神(しん)は汝ら衆人を包容す
故に、汝らは神の神(しん)を自己に保有するを務めよ。
汝らが和平の繋ぎと聖なる愛を保有すべきは
聖なる教会の体の一なる事がこれを要求す。
各人に霊の生命と活動を与ふる神(しん)の一なる事がこれを要求す。
凡その人が嗣ぐに招かれたる天の福楽が一なる事がこれを要求す。
贖罪主救主の一なる事がこれを要求す。
新生命に転生せしむる洗礼の一なる事がこれを要求す。
凡その人を一つの愛にて包容し一つの全能力を以て治め
一つの摂理を以て護り
在らざる所なく満たざる所なき神造主、摂理者、父の一体なることがこれを要求す。
(主教フェオファン)

敬虔の認識は謙遜と温柔の認識なり。
謙遜はハリストスに則るもの、
傲慢、自尊、破廉恥は悪魔に則るものなり。
ハリストスに則れ、アンティハリストスに則るなかれ。
神に則れ、神の敵に則るなかれ。
慈愛者に則れ、残忍者に則るなかれ。
愛人者に則れ、疾人者に則るなかれ。
婚宴に入るものに則れ、暗所に立つ者に則るなかれ。
妄りに兄弟に命令するなかれ、
汝が他人の罪の軛(くびき)を己の頭に加えざらんがためなり。
(主教フェオファン)

聖使徒パウェルは汝らが啻(ただ)に救いの道を聞くのみならず
恐懼(おそれ)と戦慄(おののき)をもってその救いを成すを希望す。
蓋(けだし)、その救いのために恐懼せざる者にありて
一の尊貴なる及び偉大なる事を行うを得ざればなり。
単に恐懼をもってのみならず、恐懼の高度なる戦慄をもってその救いを成せ。
…パウェルはかかる恐懼を有したり、故に彼は言えり
「他人を教えて、自ら捨てらるる者とならんことを恐る(コリンフ前書9:27)」

如何にしてこの恐懼は生まるるか?
もし我等が、
神が何処にもあり、凡そのことを聞き、凡そのことを見、
啻(ただ)に言行のみならず心の底、霊魂の奥に起こりし一切を洞察すと
思念せんには
その時に於いてこの恐懼は生まるるを得。(金口イオアン)

我等はここ地上に安息を求めざらん
我等の居所のあるかしこに於いて光栄なる者とならんことを望まん。(金口イオアン)「我等の居所は天にあり(フィリップ3:20)

キリスト教の慈愛は
他人の悪行及び悪癖を寛過せざるとともに
深くその慈愛を人の心の奥に徹底せしめて何人をも排斥せず。
慈愛の模範は
子を慈育する母の行為、これなり。
…キリスト教の真正の精神の満てたる顔は
筆紙の形容し得ざる無量の慈愛に輝く。
この顔は甘き平和を宿し、衆人を慕わしむ。
…芳しき薔薇の香りは薔薇より発するが如く
慈愛はハリストス·イイススに在る精神及び生活から出ず。 (主教フェオファン)

汝らは地に属するものを求むべからず。 (金口イオアン)

汝らは選を蒙りし者(選ばれた者)
汝らは聖なる者
汝らは愛せらるる者なり
かかる(このような)称号を思うときは
熱心の火の加わること幾ばくぞ。
汝らは選を蒙りし者と名付けらる、
世に人は多く
汝らのみに非ず
しかるに神は多くの人の内より汝らを選べり
神は汝らがその選びし者を辱めざるを期す
ゆえに汝らは聖なる者なり。(主教フェオファン)

父が子を慈しむが如く
汝ら互いに慈しまざるべからず。 (金口イオアン)

慈心、仁心の者は己を忘る
而して(だから)、自然に謙遜なり。 (主教フェオファン)

「温柔」
何の反対にも乱されざる又何人をも乱さざる多くの徳を包括する善行なり

「恒忍」
あらゆる不快、冤罪、攻撃、侮辱、迫害、駆逐を
不断不変に忍耐するをいう。 (主教フェオファン)

仁愛は謙遜を生む。蓋し仁愛の者は謙遜なり。
謙遜より温柔生まる。蓋し傲慢の者は怒りやすし。
温柔より恒忍生まる。蓋し恒忍は寛大なり。 (福フェオフィラクト)

『汝らが凡そなす所のこと、
或いは言葉、或いは行い、
皆主イイスス·ハリストスの名によりてこれを為し、
彼によりて神父(かみちち)に感謝せよ』(コロサイ3:17)

皆主の名によって行うとは
彼に喜ばるるがために
一切を彼の光栄に向け…
一切を彼にささぐる祈祷にて囲み
祈祷をもって始め祈祷をもって終わり
業を始むるにあたりて祝福を求め
業を行う間にたすけを求め
業を終わるにあたりて感謝をささぐるを、いう。(主教フェオファン)

ハリストスの名の呼ばるるところに
何の醜悪なるもの不潔なるものの存するを見ず
食わんか飲まんか(霊務を)開始せんか
万事を神の名において
即ち神の助けを呼びて行え
まず神に祈りて業につけ、汝に悪結果なからん
万事を主の名によりて行え、汝に良き成績あらん
神の名をもって印せば一切の業は幸福の結果を来す。
(金口イオアン)

霊の目を閉じ罪の眠りにつくは
性(人間本性)のいたすところに非ずして自ら求むるなり
聖使徒は訓諭す
「けい醒(覚醒)謹慎せよ(テサロニケ前5:6)」と。
(金口イオアン)

神は滅ぼすが為に我等を召さず
救うが為に召せり 即ち
「我等の為にその子をたまえり」(イオアン3-16)
神はその子を賜うまでに我等の救いを望み
しかも単にその子を賜いしに非ずして
死において賜えり
人よ
その子さえも賜いて惜しまざる神に信頼して
失望するなかれ
現世の艱難を恐るるなかれ
汝を救い汝を地獄より奪うが為に独生の子を賜いし者は
如何ぞ汝の為に他の何物をも惜しまんや
…ゆえに
我等は彼を愛せん
然るに、我等を愛するその者を愛せざらんには
極めて無知なり。
(金口イオアン)

我等は如何にしてその身を神に献ぐるを得るか
眼は悪しきものを見ざれ(見るな)、これ献身なり
舌は恥ずべき事を言わざれ、これ献祭なり
手は不法のことを行なわざれ、これ燔祭なり
然れども、これのみにて足るに非ず
我等はすすんで善を行わざるべからず
即ち手は慈善を行い、口は敵を祝福し、
耳は神の言葉を聞くに敏からざるべからず (金口イオアン)

ハリスティアニンの智識に限界なし…
神(しん、霊)とは信者の潔き心に置かるる
聖神(聖霊)よりの知恵および黙示の恩賜を指す…
ハリスティアニンの本然の智識は今に至るまで一つの本源を有す
即ち、知恵の神(しん)これなり (主教フェオファン)

神(しん、=霊)は一切を啓示し
神の秘密を説明す
神の秘密を知ることは
「神の深きをも察する」(コリンフ前2:10)
一つの神(しん)に属す (金口イオアン)

一切を、
即ち、大なることも小なることも主に求めよ
凡そのことに於いて主に仰ぎ
たとえ自ら労するも
彼の手から来るものとして一切を受けよ (主教フェオファン)

心の奥より祈れ
舌端をもって(口先だけで)祈祷を唱ふるなかれ
何事を祈るも
祈るの必要を深く心に認め
その求むる所を主より受くるを確信せよ (主教フェオファン)

使徒パウェルは祈祷において
ただ求むるのみならず
その受けたるところを感謝するを勧む
蓋、過去のことを感謝することを知らざる者は
如何ぞ将来のことを求むる知らん
斯(か)く凡そのことを感謝し
悲しきことのためにも感謝せよ (金口イオアン)

祈り、特に司祭職(主教、司祭)の祈りの大切さについて
金口イオアンは「司祭職について」の中で。

彼は全世界の番兵として立ち、
凡その人の作業(行っていること)を知り
生者を知るのみならず死者をも知る
世界は彼が配慮に託せられ
彼は慈父の配慮を持って世界を包容す
彼は戦争の息止(休戦や停戦)
擾乱の鎮定、天下の泰平
諸民の幸福、個人及び社会の病難の断絶を祈る…
彼はかかる祈祷のためにいかなる心情を有すべきか
言うまでもなく、
モイセイもしくはイリヤ以上の心情を有せざるべからず。 (金口イオアン)

悪魔は祈祷の功徳を知るゆえに
力を極めて
祈祷するものを誘惑せんとす。 (金口イオアン)

ハリスティアニン(クリスチャン)の全生涯は
祈祷をもって一貫せざるべからず
祈祷の奥義は神を愛するに存す
新郎を愛する新婦は
その心に寸時も彼を忘れざるが如く
愛において神に結ばれたる人は
神とともに離れず
主につくものは主と一神(しん·霊)となるなり (主教フェオファン)

「その求むる所を告げて」(フィリップ4:6)祈れ
即ち、その求むるところを有体(ありてい、ありのまま)に言え
敢えて、多言美語を要せず…
心に思うところを自己の言葉にて告白せよ
かかる告白は
神に対する汝の信仰を証明す (主教フェオファン)

祈祷、ことに常住不断の祈祷を
これを経験せざる者に語り教ふるは
生得(うまれつきの)の「こ者」(目の不自由な人)に太陽の光線を語り
蜜を食せざる者にその味を語ると一般(おなじ)なり、
表信者克肖なるメレティの言うが如く
「祈祷は教師を要せずただ勉強熱心(熱心に務める)を要す
而して、その教師は祈祷する者に祈祷を与える神なり」 (「神の役者」の著者)

己を祈祷に強いよ
しからば主は汝の熱心を見て
その求むるところの祈祷を汝に与えん (聖大マカリー)

汝は
食はんか飲まんか座せんか労せんか旅行せんか
(食べるときも、飲むときも…)
常に「主イイスス·ハリストス神の子や我罪人を憐れみ給え」と唱えよ
主イイスス·ハリストスの名は汝の心の奥に臨み
汝の心に悪をまく蛇を鎮め
汝の霊魂を救はん
汝の心は主を呑み、主は汝の心を呑み
二つのものが一つとならん為に
常に主イイススの名を呼べ (金口イオアン)

汝はイイススの名の記憶を
その呼吸の如くに行え (階梯者聖イオアン)

汝もしその思念の悪しきを恥じ魂の覚醒を願はば
主イイススに向かって祈祷をその呼吸の如く行なふべし
しからば数日ならずして
その希望の達せられたるを見ん (イエルサリムの聖イシヒイ)

汝はその心その舌にて
立つも歩むも座すも床に横たはるも
何事を行ふも常に
「主イイスス·ハリストス神の子や我罪人を憐れみたまへ」と
唱へよ
しからば、このことを経験せし者が知る如く
大いなる慰安と喜悦とを得ん (テサロニケの聖シメオン)

もし汝、修士、ことに神品の修士が
自己の本分を忘れて兄弟の欠点を詮索することを快とせば
汝は自己の心を忘れ
自己の精舎(修行のための家)を知らず
真理より逸して岐路に迷い道ならぬ道を歩む者なり
しからば、遂にいかなる終点に到達すべきか (シナイの克肖者ニール)

ただ口に祈祷を唱ふるのみにては完全には非ず
神は人の哀情を察す
ゆえに口の祈祷を心の祈祷に合わせざる修士は
(修道士だけではなく私たちもですよ)
修士に非ずして黒き灰燼なり
ハリストスを心に印せざる修士はイイススの祈祷を解せず
書籍は祈祷を教えず、ただ祈祷の途を示すのみ (サーロフの聖セラフィム)

目を高く神に注げ
爾(なんじ)と、地に属する者と
何の関係かある
世が造りしものを、望むなかれ (克肖者ニール)

爾の心に
不潔の情欲が燃ゆるも
肉欲が興奮するも
悪魔の誘惑が爾を攻めるとも
信と望と忍耐と覚醒と祈祷と讃美と読書(神の言葉と聖師父の書)
ことにイイスス·ハリストスの名の称名とをもって
これらに勝て (克肖者ニール)

主は浮きたる(うわついた)高き声に耳を傾けず、
モイセイの嘆息を容れし如く
言ふべからざる衷心の嘆息に耳を傾く (克肖者ニール)

兄弟よ、
嘆息、涙、及び堅き望みをもって
人を愛する我等の主イイスス·ハリストスの
見えざる足を抱くをつとめよ (克肖者ニール)

たえず神を心に記せ
しからば爾の心は天とならん
斎を武器となし、祈祷を城壁となし
涙を浴水となせ…
天に参ずる者として
聖堂に参ぜよ
聖堂にありて、地に属することを
何事も言うなかれ、思うなかれ。 (克肖者ニール)

汝、もし手を労働に動かさば
舌は歌い、心は祈れ
神は我等が常に心に神を記するを要求す (克肖者ニール)

寸時も心に祈祷を絶つなかれ
起つも、座するも、歩むも、食するも、労するも
衆人雑踏の中に立つも
「主イイスス·ハリストス神の子や我罪人を憐れみ給え」との
簡単なる祈祷を心に絶つなかれ
信と愛とをもってするこの祈祷の熱心なる頻繁の黙誦は
汝の智の邪想を払い、汝の心の邪念を鎮む (若き日サロフのセラフィムに師事した老在俗司祭アウラミイ)

この不断の祈祷の尊き実を得んと欲せば
大いに力行(努力)するを要す
蓋し、天国は力行するものに与えられ力行するものこれを奪えばなり
されど力行するは汝自身にして
汝の他何人(なんびと)も汝のために力行するを得ず
(若き日サロフのセラフィムに師事した老在俗司祭アウラミイ)

「主イイスス·ハリストス神の子や、我罪人を憐れみ給え」の祈祷は
汝が霊魂の呼吸であれ
しからば、イイススは汝の智と心より脱せざらん
イイススとともにせば一切は汝のために幸福と変じ
凶事も汝のために天のマンナとならん
(長司祭アウラミイ)

世に、聖詠(詩編)のごとく神を讃美し霊益を与ふる書は他になし
我等は聖詠をもって天使とともに神を讃美し
悪鬼を駆り(かり、追い出すこと)
王侯及び全世界のために神に祈る…
聖詠は大海に似たり
海の水は汲めども尽きざるが如く
聖詠の霊益は尽きず
(聖大ワシリイ)

神よ速やかに我を救へ、主よ速やかに我を助けたまへ
(第69聖詠、70詩編)
この句は自己を無力のものとなし
神を唯一の救助者となすの承認
すなわち神はこの句をもって祈る者に助力を与え
そのものを凡その災害より救うとの信仰とのぞみを含蓄す
この句をもってたえず神を呼ぶ者は
神を眼前にみ、神を慈父の如くに感じ
その庇護のもとに立つ
(克肖者イオアン·カシアン)

汝らは飲酒の悪癖が肉体を滅ぼすのみならず霊魂を滅ぼすを知れ
…飲酒の如く不和、仇怨、罵詈、汚念、放恣その他の悪因となるものはなし
ゆえに金口イオアンもその説教に言へり
「沈湎者(ちんめんしゃ;酒色におぼれる人)は
最も悪魔に喜ばれるものなりと。
(ザドンスクの聖ティーホン)

一定の時においてのみ伝道するなかれ
平安の時、もしくは聖堂にあるときのみならず
危難に臨むも獄中につながるるも
縲紲(るいせつ、縛り縄)に在るも
死を宣告せらるるも、伝道せよ
およそ、便宜ある時、機会あるときは
伝道するに時を得たるなり
(金口イオアン)

預言者及び使徒らによって我等に与えられたる聖書は神の真実の言葉なり
天の父はこの聖書をもって不当なる我等に談話す
故にハリスティアニンよ
福音書及び他の聖書を読む神の役者(教役者)の訓戒をきけ
またみずから聖書をひもときて
至上の神がその言葉をもって汝に語るところを読み、思念し、会得せよ
我等が神に祈祷するは神にむかって談話するものなり
我等が聖書を読むは
我等と談話し我等の願いに答ふる神の言葉を聞くものなり
(ザドンスクの聖ティーホン)

我に従はんと欲する者は己を捨てその十字架を負いて我に従え (マルコ8:34)
十字架とはあらゆる悲愁を甘受する決意を指す
神の道は日々の十字架なり
安逸の道を行きて天に達せし者なし
汝らは安逸の道の極まるところを知る

安逸の時に喜び、悲愁の時に顔をしかめるは汝のすべきことに非ず
天国の道は今も昔も十字架と死を以て通ぜらる
主は言う
現世において「その生命を得る者はこれを失い、
我がためにその命を失う者はこれを得ん」(マトフェイ10:39)
安逸の道を歩む者はその命を失い
十字架の道を歩む者はこれを得ん。 (シリヤのイサアク)

我に従はんと欲する者は己を捨てその十字架を負いて我に従え (マルコ8:34)
即ち、主はかく言う
我が門徒たらんと欲する者は我にしたがいておよその艱難を覚悟せよ
我は主、汝らは僕なり
故に、汝らはその主に従え
我は師、汝らは弟子なり
故に、汝らはその師に従え
我は天国への導き手、汝らは随行者なり
故に、汝らもし彼処に至らんと欲せば、その導き手に従え
(ザドンスクの聖ティーホン)

己を捨てるとは何のことぞ
汝の邪念を切断し、汝の心の喜ぶところを行うなかれ
己に善きことを疎み、悪を愛さざれ
己を敵視し他人を敵視するなかれ
他人を怒らず己を怒れ
汝を迫害し汝を陵辱するときは悲しむなかれ
旧き人即ち霊魂を害するおよその邪念を切断せよ…
このことは難事なるか
然り、難事なり。されど必要なり。
(ザドンスクの聖ティーホン)

十字架を背負いてとは何のことぞ
神の名のためにあらゆる艱難を甘受し死をも辞せざるを言う
たとえいかに苦痛なるも怨言せず
大胆にあらゆる苦難を忍ぶを言う
(ザドンスクの聖ティーホン)

ハリストスに従うとは何のことぞ
真実に痛悔し痛悔の実を結び
いかなる困難に遭遇するも
我等のために苦しみしハリストスを思いて
神の名のためにあらゆる辛酸をしのぶを言う (ザドンスクの聖ティーホン)

「およそ敬虔を以てハリストス·イイススにありて
生をわたらんと欲する者はみな窘逐せられん」(ティモフェイ後書3:12)

ハリストス·イイススにありて敬虔に生をわたらんとする者は
地上にその楽園を有せず天に楽園を有す
血は傷害窘逐の外何物をも彼らに与えず
何となれば、ハリストスに従う者の主眼とするところと
地のために生活し地上にその楽園を求める者の主眼とする所とは
全く相異ればなり
この二種の人は氷炭相容れず
地の人は天を求める者を窘逐す
しかもこれ神の僕のために幸福なり
神の仁愛はこれらの窘逐を彼らのために永遠の福楽に変ず
ゆえに彼らは確信と喜悦を以て神に光栄あれと呼ぶを得。
(主教フェオファン)

敬虔に生をわたらんと望む者は窘逐(迫害)せられん
使徒は窘逐なる語に悲哀憂苦の意を表せり
善道を歩む者にありて悲哀憂苦は免れ難し
彼は狭き艱難の道をたどる
蓋し言えるあり
「世にありて汝ら艱難をうけん」(イオアン16:33)
「それ人の世にあるは戦闘にあるが如くならん」(イオフ7:1)
悪と闘う人にありて悲哀なきを得ず
故に聖なる教会に労役する神の役者は
もとより安楽を求むべからず
現在の時は
戦闘、憂苦、愁嘆の時なり
(金口イオアン)

熱涙の祈祷は罪を清めるのみならず、
肉体の疾患及び病弱を癒し、人の全身を革新す
一言を以て言えば、人を再生せしむ。
ああ、祈祷の賜物はいかに尊とからずや
(クロンシュタットの聖イオアン神父)

「汝、苦をしのぶこと、イイスス·ハリストスのよき軍士の如くせよ」
(ティモフェイ後2:3)

福音宣教の働きに任じ
この働きのために受ける艱難を
ハリストスのよき軍士として耐えよ
汝は誰に属する軍士か心に考え
勇敢に軍士たるの働きを尽くせ
(フェオドリト)

聖福音書の戒めに従いて生活する者は
実に世に憎まれて在り
世は彼等を憎むも神は彼等を愛す
世は彼等を疎んずるも神は彼等を選ぶ
神に愛せらるると、世に愛せらるるといずれが優るか
全世界が我を憎まんと欲せばそのなすに任さん
ひとり神は我を愛しその慈愛において我を保護せん
主よ汝の慈愛は我に善し
「我にありては神に近づくは善し(聖詠72)
我はひとり爾(なんじ)及び爾の愛のほか
地にあり天にある何者をも欲せず
(ザドンスクの聖ティーホン)

もし汝は狭く苦しき道を歩むをハリストスに約束せしならば
汝の腹をせめよ
腹を喜ばし、腹を膨張せしめて
汝はその約束を捨つ
沈倫に導く飽食の道は広くしてこれに入る者多し
されど
いのちに導く節制の門は狭くその道は細くして
これを得るもの少なし
(階梯者イオアン)

狭き道に横たわるものは
十字架、苦難、忍耐、節制、献身、服従なり
広き道に横たわるものは
神の法の軽慢、放恣の生活、自愛、虚栄、讐敵、淫情、酒宴その他なり
(ザドンスクの聖ティーホン)

ハリストスは狭き道を歩めり
彼の心服者は彼に随従し
愛と忍耐と温柔と謙遜を以て彼の足跡をたどる
広き道には闇の王が立つ
現世のために労する者は
この道を通りて闇の王に尾す
人よ、汝はいずれの道を好むか?
(ザドンスクの聖ティーホン)

(神の役者よ)汝を窘逐(迫害)する者あるも
汝は窘逐(迫害)するなかれ
汝を陵辱する者あるも
汝は陵辱するなかれ
汝を讒詛する者あるも
汝は讒詛するなかれ
温柔なれ、しこうして悪に報いるに悪を以てするなかれ
(ザドンスクの聖ティーホン)


ソース:

http://nagoya-orthodox.com

http://nagoya-orthodox.com/ja/正教の霊的勧告集.html

名古屋正教会 NAGOYA ORTHODOX CHURCH

<>



平安にして出ずべし

聖体礼儀を生きる

About Holy Communion and Divine Liturgy

(「福音と世界」2000年5月号に投稿)

名古屋ハリストス正教会 司祭 ゲオルギイ 松島雄一

正教会の聖体礼儀

クリスチャンは、「新たなる神の民」の仕事(リトゥルギア)として、ハリストスの死と復活を、そしてその「よみがえりの生命」を自らの生活の場で、自らの生活全体によって証しする。使徒たちは、主の死と復活の直接の目撃者としてその体験を証言したが、「見ないで信ずる者は、さいわいである」(ヨハネ20:29)と祝福される私たちは、ハリストスの体·教会にあって聖神(聖霊の日本正教会訳)の溢れの内にそれらを体験し、世に証しする。その体験の中心に、使徒たちから今日まで連綿と伝えられる聖体礼儀(リトゥルギア)がある。

正教会では通常の主日·祭日には、四世紀のコンスタンティノープルの大主教金口イオアンに帰せられる「金口イオアンの聖体礼儀」が行われる。

前半は、新約聖書の誦読·説教を中心とする宣教的な集いであるが、後半は、古代教会では信徒のみに参加が許された「神の民の宴」である。

まずパンとぶどう酒が厳粛な聖歌に伴われ宝座(祭壇)に献げられる。その際の祈祷文は、ハリストスの十字架への自己献祭を記憶し、この自己献祭によって、人間の神への献祭(交わり)が再び可能となったことを告げる。次に教会全体が「ハリストス我らの内に在り」「まことに在り、また永く在らんとす」と、主にある愛を確認し合い、ニケア·コンスタンティノープル信経の歌唱によって信仰の一致、教会の一致を表明。この一致のもとで、感謝とともに、主の救いの業、すなわち籍身(受肉)、最後の晩餐、その死と復活、昇天と再臨が記憶され、いよいよ「聖神の降下の祈願(エピクレシス)」が祈られる。この時、献じられたパンとぶどう酒のハリストスの体血への変化が成就する。次に、この主の体血のもとで、生神女マリヤ、諸聖人、主教、国を司る者、信徒兄弟姉妹、とりわけ苦難にある者たちが記憶される。最後に天主経(主の祈り)が歌唱され、教役者·信徒は主の体血を領聖(聖体拝領)し、私たちが献げた地の実り(パンとぶどう酒)が、私たちが真に神の民にふさわしく生きるための糧(主の体血)として贈り返される。「すでに真の光を見…」と終末的な光栄に与ったことを感謝し、終結の祈りに入る。

神と人と世界との、交わりの回復

この聖体礼儀は、教会の本質の表現でありその体験である。
ハリストスの死と復活の記憶によって、私たちは教会を、主がもたらした「新しさ」·神の国として体験する。主教(もしくは司祭)に司祷され教役者·信徒がそれぞれの役割(リトゥルギア)を果たしつつ進行する奉神礼(リトゥルギア)によって、私たちは教会を、ハリストスに導かれた「神の民」の、この「新しさ」·神の国への歩みとして体験する。そして領聖によって、私たちは教会を、終末に約束される「新しさ」の成就、永遠の生命の溢れる神の国の味わいの先取りとして体験する。

とりわけ領聖では、「肉体となった」「ことば」(ヨハネ1:14)が、現実に、そのお体と血を私たちのために「まことの食物」「まことの飲み物」(ヨハネ6:55)としてさし出され、神の救いの本質、その「新しさ」があらわにされる。
すなわち、領聖を通じて人は再び神との交わりを回復する。私たちの食物·私たちの飲み物が神の体血となり、神の体血が私たちの食物·飲み物となり、私たちは神に生かされ、神に感謝し、神を愛し、神のために自己を献げる者となる。
また、領聖を通じて人は再び互いの交わりを回復する。聖体礼儀に集う信徒が一つのパン·一つの爵から主の体血を分かち合うとき、そこには再び三位一体の神の似姿が回復する。即ち、自由と一致が互いを斥け合わずむしろ支え合う、真の「愛の交わり」が体験される。

さらに領聖は私たちに、この物質的世界に新しい光を投げかける。パンとぶどう酒がそのままに神の体と血であることは、人間の神への離反によって失われてしまった、物質的世界への神の祝福の回復である。

これらの三つの回復が人間的努力の功績や報酬としてではなく、神の恵みとして与えられた。この福音を、私たちは領聖という「領ける」行為の中で、神学的思弁や、「信じ込み」や、聖書の使信への単なる承認としてではなく、人間存在全体をあげて関与する現実として「体験」する。

日常生活への派遣

聖体礼儀の終結の部分で、司祭は会衆に向かい「平安にして出ずべし」と宣言する。これは、日常の煩いから奉神礼(典礼)の「美」に逃避してきた者たちがいわば精神安定剤的に陶酔する「宗教的平安·祭儀的神秘」への祝福ではない。逆に、逃避することなく日常生活の中に、この平安、即ち聖体礼儀が証しした神と人、人と人、人と世界の三つの回復(和解·平安)を携えて出てゆき、日常生活そのものをこの「平安」に満たされた神の国の新しさに変容せよという派遣の宣言である。聖体礼儀の中で喜びとともに確信された福音は、それぞれの日常生活の中で平安·和解·回復として具体化されてこそ、真に証しされる。

すなわち、クリスチャンは「自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従う」(マルコ8:34)生活を通じて、聖体礼儀で体験した神との交わりを具体化する。あらゆる行為や思いが、神との交わりに向かうものか、そこから離れるものかという眺望のもとで、取捨され、生活の一切が神への献げものとなる。

また、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」という戒命はさらに「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」(マタイ22:39)という戒命に具体化される。ハリストス·神の愛によって、できないことを要求し人に自己定罪を強いる律法が廃棄され、人は愛することのできる者へと回復された。この回復を聖体礼儀で体験した私たちは、それぞれの生活の場で実践される愛を通じて、その回復が現実であることを示す。ハリストスの救いは、互いの分かち合いや相互理解への苦い断念とともに「自己性」の中に断片化されてしまっていた「個人」の群れが、再び「私たち」へと集め直されたこととも言えよう。クリスチャンはこの救いを、「互いに愛し合う」(ヨハネ13:34)ことにより、愛の断念の中で呻吟する「この世」に告知する。

また、互いの愛の内に、主の愛を聖体血=パンとぶどう酒として分かち合った私たちは、日々の食べ物を、生きる環境を、互いの身体を、この世界全体を神から贈られた神との交わりの媒体として捉え直さねばならない。人はこの世界を、自らを神とする自己完結的な生き方の「資源」として神から横領し続けてきた。自分の身体を自分の専有物と見なすことから、喫煙、薬物、暴飲暴食、ギャンブル、暴走、性の逸脱等による自己破壊が始まる。世界を人のための独占的な資源と見なすことから、環境破壊が始まる。まさにアダムが神に背いた結果「地はいばらとあざみを生じ」(創世記3:18)不毛となった。しかし今や人が神との交わりを回復することを通じて、「実に切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んで、…共にうめき産みの苦しみを続けて」(ロマ8:19)きた被造物全体が、その本来の光輝を回復する。パンとぶどう酒という「物」を神の体血として体験する私たちクリスチャンこそ、聖体礼儀でパンとぶどう酒へ示したのと同じ畏れと敬虔な関わり方を、人と物の関わりの中に再構築し、この回復を証しする。

これら一切がクリスチャンのこの世でのリトゥルギア(仕事、務め、奉仕)である。このリトゥルギアは聖体礼儀(リトゥルギア)と不可分にして一体である。

リトゥルギアからリトゥルギアへ

さて、しばしばローマ教会と正教会の違いの一つに「いつ聖変化がいつ起きるか」への理解があげられる。ローマ教会が「これ我が体…」という制定句が唱えられる時とするのに対し、正教会は制定句の後の(ローマ教会のミサにはない)「聖神降下の祈願」(エピクレシス)の時と主張していると受け取られることが多い。しかし、これは正確ではない。正教会の機密(秘跡)論は本来、機密を構成する諸要素の一部分だけを取り上げて機密全体の本質を規定したり、機密の有効性を論じたりはしない。「エピクレシス」の瞬間は確かに決定的な瞬間である。しかし、それはエピクレシスが祈願された瞬間に、今までただのパンとぶどう酒であったものが、ハリストスの体血に魔術的に変化するということではない。むしろエピクレシスの時に、聖変化が「成就」するのである。

聖体礼儀は「父と子と聖神の国は崇め讃めらる」という司祭の高らかな宣言、それに対する会衆の同意から始まる。教会·聖体礼儀という「船」は、この世を離れて、「父と子と聖神の国」、「三位一体の神の国」へ向かって旅立つ。私たちとともに、献祭されたパンとぶどう酒もこの船に乗って、この世にありながらこの世を離れて神の国の次元に高められていく。この上昇の過程そのもの、聖体礼儀全体が聖変化の成就へ向けての過程として、理解されねばならない。

しかし聖体礼儀を真に神の民の唯一の使命(リトゥルギア)として、また教会の世界への証しとして体験する者は、もう一歩踏み込んで言う。聖体礼儀最後の「平安にして出ずべし」によってこの世に派遣され、この世での働き(リトゥルギア)が再開される時から、実は既に次の聖体礼儀での聖変化は準備され始めるのだと。

信徒はその生活全体を奉仕(リトゥルギア)として神に献げ、そのリトゥルギアは聖体礼儀に献げられるパンとぶどう酒に集約され、パンとぶどう酒はこの世のそれぞれの場から集められた信徒全体の祈りと一つになり、教会の献げものとして、神に受け入れられ、祝福され、神·ハリストスの体血として与え返される。与え返された信徒は再び、「平安にして…」とこの世に派遣され、その恵みを一層豊かにこの世でのリトゥルギアの中で育て、再び次の聖体礼儀に献げものとして携える…。聖体礼儀の行われる主日はまさに成就の日、第八日であり同時に開始の日、第一日である。回復された神との交わりとはこの全体であり、決して祭儀的神秘の中での特殊な「霊的体験」ではない。クリスチャンは聖体礼儀を日々生きる。

終わりに

現代正教奉神礼神学の泰斗アレキサンドル·シュメーマン神父はこう言う。

「自らを『聖神の宮』とするためには、ハリストスが昇っていった天に自らも昇ってゆかねばならず、また、この『昇天』こそがこの世への伝道と職務のまさに前提条件である。これは初代教会信徒にとって自明なことだった。その『天』で、彼らは、神の国の新しい生命の溢れに浸された。この『昇天の奉神礼』からこの世へ戻ってきた彼らの顔には、神の国の喜びと平安が輝き、彼らはその真の証人となった。彼らは何の『改革へのプログラム』も『理論』も携えて行かなかった。しかし、彼らが赴く所ではどこでも、神の国の種子は芽を出し、信仰の灯がともされ、生活は変容され、不可能が可能となった。『この光はどこから来るのですか。どこにこの力の源があるのですか』と尋ねられたなら、彼らは確信を持って答えたであろう…」。(”For the Life of the World” SVS Press 1988 p.20)

その答えが「聖体礼儀」であることは言うまでもない。そしてそれは、揺るぎなく、「今もいつも世々に」変わらない、正教会の答えである。

ソース:

http://nagoya-orthodox.com

http://nagoya-orthodox.com/ja/平安にして出ずべし.html

名古屋正教会 NAGOYA ORTHODOX CHURCH


<>


教会 Church

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」

2000年前イエス·キリストは人々にこう呼びかけました。当時イエスの国(イスラエル、ユダヤ、ガリラヤと呼ばれる地域)では多くの民衆がローマ帝国の支配に苦しみ、宗教的指導者たちからも軽蔑されて、神に対する信頼も生きる希望も見失っていました。

イエスが確信していたことは、神はすべての人の父であり、父である神は苦しむ人間の姿を見て、胸を痛め、救いに近づいてきてくださる方だ、ということ、そして、神がすべての人の父であるならば、わたしたちはみな兄弟姉妹である、ということでした。どんなに神から程遠いように見える人も、人から差別されたり排斥されている人も、イエスから見れば、神に愛されたかけがえのない子どもであり、イエスの兄弟姉妹でした。イエスはこのことをことばで語っただけでなく、実際の人々との出会い·かかわりの中で伝えました。特に貧しい人、病気の人、心や体に障害を負った人、社会的に蔑視されていた人と出会い、その人々にいやしと希望のメッセージを伝えました。このイエスの活動は、多くの人の心に信頼と希望と愛を呼び覚まし、イエスに従う多くの弟子が集まってきました。

その一方、イエスの活動は当時のユダヤの社会的·宗教的指導者たちの反感を買うことになり、ついにイエスは十字架刑というむごたらしい方法で処刑されてしまいます。しかし、イエスは最期まで神に対する信頼と、人々に対する愛を貫きました。イエスの弟子たちは、このイエスの中に肉体の死を超えて神とともに永遠に生きる、本当のいのちを見いだしたのです。イエスが十字架の苦しみと死をとおして、憎しみと暴力と死に打ち勝ったという信仰をキリスト教は「復活」ということばで表します。

イエスが天に上げられた後、弟子たちはイエスのことを人々に語り、イエスを信じる人々の集いが生まれました。これが「教会」です。教会は、イエスを主·キリスト(救い主の称号)と信じ、イエスの跡を歩もうとする人々の共同体です。なお、人がキリスト信者になる儀式として、最初の時代から「洗礼」が行われてきました。

<>










ボロスの長老マクリナ

(Blessed Makrina of Volos, Greece, +1995)

聖師父たちは、「無駄話は火のようなものだ」と言いました。私たちは無駄話を控えるべきです。
火で森が丸ごと焼かれ、山が裸になるように、無駄な話は、私たちの霊と心からすべての善きものを奪います。人間は錆びたブリキ缶のようになってしまうでしょう。

+ボロスの長老マクリナ



<>


今日とはエジプトの聖マリアの記憶日です

Saint Mary of Egypt (+5th-6th ce.)



今日とはエジプトの聖マリアの記憶日です。

今週の主日(エジプトのマリヤ主日)にも記憶される聖マリアは、色んな教訓、例えば、謙遜の心や痛悔の大事さ、領聖の重要性、そして、神は悪人にも悔い改め、救われるチャンスを与えてくださるということを教えてくれる聖人です。






<>








今日はロシア聖人の中でも最も尊敬される聖人の1人

Today one of the most respected Saints of Russian Saints



今日はロシア聖人の中でも最も尊敬される聖人の1人、サロフの聖セラフィムの記憶日(永眠/第2回目の不朽体発見)です。

18世紀から19世紀という、教会の聖伝の大切さが失われかけた時期に活動した修道司祭で、テオシスとは何か、真の祈り·信仰とは何かをその生涯を以って見せてくれた聖人です。




<>


クロンシュタットの聖イオアン

Saint John of Kronstadt (+1908)


* 私たちの邪悪さが神の言い尽くせない善良さと憐れみに勝ることはなく、私たちの鈍さが神の叡智に勝ることもなく、私たちの弱さが神の全能に勝ることもない。



<>

聖ポルフィリイ

Saint Porphyrios of Kafsokalivia, Greece (+1991)

* 人を聖にするのは愛です。


<>


聖イグナティ·ブリャンチャニノフ

Saint Ignatius Bryanchaninov (+1867)


知恵に満ちた雄弁な言葉で祈ってはならない。むしろ幼子のような片言、赤子のような単純な思いを主に捧げなさい。
主は我々に向かって「爾ら、もし転じて、幼子のごとくならずば、天国に入るを得ず」と言われた。

https://twitter.com/Nicholas199903

<>




聖ヨアンネス·クリュソストモス

Saint John Chrysostom (+407)

* 神は考えられる全ての人ー父親、母親、友人、そして私たち自身よりも私たちを愛しておられる。


<>

モスクワの総主教聖ティーホン 

Saint Tikhon of Moscow (+1925)

* 水が丘から谷に流れ落ちるように、神もへりくだる者に降り、共にいてくださる。





<>



セルビアの総主教パヴレ

Paul Patriarch of Serbia (+2009)

実は、世の中には善き人がたくさんいます。

もし、あなたの周りに善人が誰もいないと感じたのなら、あなた自身がその善人になりなさい。




<>








ミサ Mass

復活された主キリストはご自分の体である教会に現存し、今も救いの働きを続けておられます。キリストの恵みは特別のしるしによって現実のものとなりますが、この神の神秘的な働きをわたしたちは秘跡と呼んでいます。

その中でもとくに主日のミサは大切なものです。一つの地域の信者が目に見えるキリストの体としてともに集まり、神のことばを聴き、キリストの死と復活の神秘にあずかって、神の救いのわざを感謝し、そして主の食卓からキリストの体をいただいて、皆がキリストにおいて一つに結ばれます。わたしたちが実際に集まることが大切なのはこのためです。神への義務という次元もありますが、もっと身近に、信者同士がお互いを必要としており、ともに集まって励まし合い、支え合わなければなりません。こうして信仰の絆が確認され、連帯の意識が深められるなかで、ともにキリストの体に結ばれて、社会での生活に送り出されるのです。

<>



洗礼 Baptism

洗礼によってわたしたちはキリストに結ばれて神の民に加わり、またすべての罪をゆるされ、水と聖霊によって新しく生まれます。こうしてわたしたちは神の子と呼ばれ、事実神の子となるのです(1ヨハネ3·1、ロマ8·15)。

<>



子どもの教育 Child education

日本の社会にはキリスト教の文化的な環境が十分に整っていません。ですから、子どもがキリスト者として成長するためには、親自身が喜びをもって信仰に生きていること、教会共同体への参加が大切です。
ミサに参加し、教会学校に通い、家庭でともに祈ることがキリスト教的な環境と信仰教育を与えていくことの基本となります。

<>



家庭での祈り Prayer at home

家庭での祈りも大切です。幼児のときから、寝る前の祈りや食卓での祈りを大切にしてください。いつもわたしたちの側にイエスがおられることを思い起こしてください。

<>



結婚 Marriage

結婚は自由意思による男女の合意と誓約によって成り立ち、愛と忠実に根ざした不解消の絆で、神が結んでくださる厳粛なものです。結婚ほ神聖であり、その生活は子どもの誕生と育成の場として、社会の中で独自の使命を持っています。結婚式は単なる装飾や形式ではなく、神と人びとの前で2人の決意を表明し、お互いに絆を結び、恵みと祝福を求める祈りです。

<>



堅信 Firmness

堅信によってわたしたちは父のたまものである聖霊をのしるしを受け、主にいっそう似る者となり、聖霊に満たされます。こうしてわたしたちは洗礼のとき宣言した信仰に生き、世にあってことばと行いでキリストのあかしとなり、キリストの体の完成のために働きます。

<>



死の準備 Preparation for death

病気や事故などで死の危険が迫っているときには所属している教会、もしくは近くの教会の司祭に連絡してください。ご聖体、病者の塗油、ゆるしの秘跡、相談などを依頼できます。

<>



十字架

Orthodox Hymn (Troparion) of Holy Cross

主や、爾の民を救い、爾の業に福を降し、吾が國に幸いを與へ、爾の十字架にて爾の住所を守り給え。

<>







なぜ一部の人にだけ真理が啓示されるのでしょうか

+セラフィム·ローズ(1934-1982、アメリカの修道司祭)

Why is the truth revealed only to some people?

Fr. Seraphim Rose, USA (+1982)

なぜ一部の人にだけ真理が啓示されるのでしょうか。神からの啓示を受け入れるための特別な器官があるからでしょうか。

実はそうなのですが、普段は開かないようになっています。

その神からの知恵を受け取れる器官の名は、「愛に満ちた心」です。

+セラフィム·ローズ(1934-1982、アメリカの修道司祭)

https://twitter.com/Nicholas199903

<>

正教会とは

What is the Orthodox Church?

 まず初めにお断りしておかなければならないことは、ここにこれから書いてあることは、あくまで正教会についてのほんのわずかな概論である、ということです。正教の奥深さについての「ご招待」であって、学問的な「解説」ではありません。より詳しく正教について知りたい方は、ぜひお近くの正教会を探してそちらを実際に訪ねてみてください。

 およそ2000年前、一人の男の子がユダヤの地、ベツレヘムという小さな町で生まれました。彼はイイスス(イエス)と名づけられます。イイススは神の国の到来を人々に教え、多くの病人を癒し、様々な奇跡を行いました。しかし彼の活動に当時のユダヤ教の指導者達は危機感を覚え、イイススは十字架に磔にされ殺されてしまいました。しかし、イイススは三日目に墓からよみがえり、彼の弟子たちのもとに現れました。そして40日を彼らとともに過ごしたのち、イイススは天に上がっていきました。

 このイイススを「人となった神の子」と信じ、彼こそが救世主「ハリストス(キリスト)」であると救いの希望を持つのがキリスト教です。その中でも私たち正教会はイイススの直弟子である使徒以来、イイススと使徒たちの伝統を正しく守り伝えていると確信している教会です。

 キリスト教は、イイススの昇天の直後から、使徒たちによって世界中に宣教されました。紀元1世紀の世界にあって、西はスペインから東はインドに至るまでハリストスの教えは伝えられたのです。キリスト教の最初の三世紀は帝国による迫害の時代でした。多くのキリスト者がその信仰を守るために致命(殉教)し、それによって教会はますます強められていきました。やがてローマ帝国もキリスト教の存在を認め、後にはキリスト教がローマの国教となったのです。

 しかし不幸なことですが、キリスト教は次第にギリシャ語を話すローマ帝国東方の教会と、ラテン語を話す西方の教会に分裂していきました。これにはいくつもの理由が複雑に絡み合っており、簡単に説明することは困難です。西方教会は「聖神(聖霊)」に関して、独自の理解を教義に盛り込みました(フィリオクェ論争)。さらに教会の権力をローマ総主教、すなわち教皇に集約することで強力な教会組織を作り上げ、今日「ローマカトリック」と呼ばれる教会が誕生しました。一方で従来の教義を変えることなく守り、教皇権が東方に及ぶことを否定した教会は、「正教会」と呼ばれて今日に至ります。(ただし、これは西方教会離脱の全体像ではありませんし、教会の東西分裂があるとき突然、決定的な事件によって起こったわけではないことに留意せねばなりません)

 教会から西方の領域が分断されてしまったことは不幸な歴史ですが、その時代に新しく正教の光が届いた地域もあります。それは今日ロシアやウクライナと呼ばれるスラブ人たちの住む地域でした。「ルーシ」と呼ばれる人々が正教会を受容したのは、今からおよそ1000年ほど前になります。それ以来ルーシの地、すなわちロシアは正教会の一大拠点となり、そこでは正教の精神性や文化が大きく花開きました。

 正教会は自らをニケア·コンスタンティノープル信経(信条)で告白するところの「一つの聖なる公なる使徒の教会」である、と自認しています。「公」である、ということは「正教会がただの民族宗教、国家の教会なのではなく、その正しさは世界中に普遍的に通用し、宣教されるべき教会である」ということを意味しています。今日「正教会」というとロシアやギリシャ、あるいはルーマニアやブルガリアなどの東欧諸国のイメージが強いですけれども、本来はそこに止まらず、世界中に遍くあるべき「たった一つの聖なる教会」なのです。

 また、私たちは教会を教会たらしめている聖なる伝統は、イイススから使徒たちへ、使徒たちからその後継者である主教たちへ受け継がれ、今日の正教の教会の中に息づいていると信じています。聖なる伝統とは、聖書、公会議の決定事項、教義、奉神礼(礼拝)の方法、聖職者の位階、聖堂、イコン、などのものです。正教会は信仰上の父祖から受け継いだものを、そのまま間違いなく次の世代に渡す、という形で伝統を守り、そこには聖神(聖霊)の働きがある、と信じています。

 「正教」はギリシャ語で「オルトドクサ」、英語では「オーソドックス(Orthodox)」と呼ばれています。これは「正しい(オルソス)」「祈り(ドクサ)」を意味する言葉であり、正教会の特徴をはっきりと表しています。私たちは祈りをとても大切にします。神と人との愛ある交わりは祈りの中にこそあると信じているからです。私たちは神への愛、神への感謝、神への願いを祈りの形で表現します。正教会は使徒の時代以来、この祈りの本質を連綿と引き継いできました。だからこそ私たちは「オーソドックス」を名乗るのです。

ソース:

https://www.ocjmorioka.com

https://www.ocjmorioka.com/orthodox

盛岡ハリストス正教会

Morioka Orthodox Church

<>

正教会は何を信じているか 

What Orthodox Church believe?

 正教会に限らず、キリスト教はこの世界は神によって創造された、と信じています。では神はなぜ世界を造ったのか。私たちは神を愛の方である、と信じています。ですから神はこの世界を「神が愛するもの」として創造された、ということになります。神は見える世界(物質的世界)、見えない世界(非物質的世界)を創造し、そこを造物で満たしました。それは「はなはだ善い」ものであると神が言った、と聖書は伝えています。世界は大変に素晴らしいもので、その素晴らしい世界の代表として、世界を愛し、よく守り、神に感謝を捧げ、神との愛の交わりのうちに生きる存在として人間が造られた、と正教会は教えています。神に「よく似たもの(神の像)」として神の持つ良き能力(愛、創造性、知恵、自由な意志など)を与えられた人間は、その能力を用いて神と世界の仲立ちとなることを期待されていました。さらに、人間には「神との交わりの中にどこまでも神に似ていくことができる可能性(神の肖)」まで与えられていました。

 しかし人間はその役割に失敗してしまいます。アダムとエヴァは蛇の誘惑に負け「善悪の知識の実」を食べてしまいます。その時に蛇は「これを食べると神のようになれる」と言って彼らをそそのかしました。それは、人間が神に代わってこの世界の支配者となればよい、という誘惑に他なりません。神とともにあってこの世界を生かしていくはずの人間が、神に背を向けこの世界の暴君として振舞う道を選んだのです。人間の傲慢さは次々と新しい罪を生み出し、この「はなはだ善い」はずの世界を汚染していきます。そして、神から離れた人間は、神の永遠性という恵みを失ってしまったので「塵に帰るもの」すなわち死ぬものとなった、と教会は教えます。

 その人間と世界を罪と死から救うためにこの世に来られたのが「神、子」、あるいは「神の言」と呼ばれる方でした。このお方は「神、父」とまったく同じように「神である」と教会は信仰を告白します。全ての時間の外側で、つまり永遠において「父から生まれた神の子」です。このお方が処女であるマリヤを通してこの世界に入り、イイスス(イエス)と名付けられました。イイススは完全な神でありながら、完全な人間です。私たちが人間であるのとまったく同じように、一人の人間としてこの世にお生まれになったのです。イイススが「どのように」「どのような様式で」完全な神であって完全な人であるのかについて、正教会は多くを語りません。人間の論理的知性では分からないからです。神の神秘の領域のことには沈黙を守るという、知的な事柄に対しての姿勢が正教会にはあります。私たち正教はイイススの神性と人間性については「この二つの本性が混合されることなく、変化することなく、分割されることなく、離されることがない」ということ、そしてイイススは完全に一つのお方(位格)であることを確認するのみです(カルケドン第四全地公会)。

 むしろ、神が人となったことの意味でもっと重要なのは、「神が人となることで人間性全体が浄められた」ということです。このことは「神が人となったのは、人が神となるためである」という聖大アタナシオスの言葉で私たちに伝えられています。神ご自身が人間となって、人間の失敗を再びやり直してくださったので、人間本性全体がその本来あるべき姿を回復できるようになりました。正教会には「テオシス(神成、神化)」という考え方がありますが、これは私たち人間が神との交わりの中に、限りなく神に似たものとなっていくということです。私たちは神の似姿として創造され、さらに神に似ていく可能性を与えられていました。私たちは罪によってこれらを大きく傷つけてしまいましたが、イイスス·ハリストスによって浄められた人間性は再びこの可能性を取り戻しました。聖使徒パウェルはこの「神化」についてこのような言葉で表現しています。「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。(第二コリント3:18)」。あるいは偉大な聖師父であるマキシモスは「神化」を、鉄(人間性)が炎(神のエネルギー)に熱せられ、炎の性質を持った鉄(神化された人間)になることに例えました。この「テオシス」は正教徒の究極的な目標である、ということができるでしょう。

 また、私たちは「神、聖神(聖霊)」を信じています。聖神は私たちに神の子ハリストスを指し示し、私たちをハリストスとの合一に導きます。また聖神は「神、父から出る」お方であり、「父」と「子」とともに「至聖三者」、三位一体の神であると正教会は信仰を告白します。三位一体とは、神とは「父」と「子」と「聖神」という三者であるが、しかし一つである、ということです。古来からこの私たちが理論的には理解できない命題について説明が幾たびも試みられてきましたが、それはいずれも神の神秘を表現することはできませんでした。これは私たちが理論的に証明することではなく、神からの啓示によって直接「知る」ことです。私たちにとって重要なことは、三位一体の理論的様式ではなく、至聖三者が完全に一致した愛の中にあるお方である、ということです。なぜならば、神の像として造られた私たちには神の性質が反映されているので、神が「完全な愛」のお方であるならば、人間もまた愛の存在であるはずだからです。人が神を愛するものであること、人が人を愛するものであることは、私たちの原型である神に由来することであり、私たち人間にとって本質的な事柄である、と正教会は考えます。

 私たち正教会はイイスス·ハリストスの復活について「肉体をもっての復活」を信じています。決して霊だけが人々に現れた、とか、イイススの死が人々に強烈なインスピレーションを与え「復活体験」を感じさせた、という解釈には与しません。私たちが信じるハリストスの復活は、本当の意味での復活、一度間違いなく死にそして復活したイイススが、完全な霊と肉体をもって使徒たちや人々に現れ、実際に食べたり、飲んだり、触れたりした、という復活です。それがいくら私たちの知る「常識」とかけ離れていたとしても、ここに妥協はあり得ません。私たちは使徒たちが目撃し、そして伝えてきたことを信じています。

 ハリストスは人間すべての罪の為に十字架にかけられ死んだのみならず、自らの死を以て死に勝利し、私たち人間に永遠の生命を与えました。ハリストスが人間性全体をもって復活したのだから、ハリストスの人間性に連なる私たち人間もまた復活することができるようになりました。もちろんこの世において私たちにはいまだ死が訪れます。私たちの肉体は喪われてしまうように見えます。しかし「復活の日」、私たちは復活し、栄光に輝く新しい肉体を得て永遠の生命に入れらる、と教会は教えています。これが正教会の持つ「希望」なのです。

 そしてイイスス·ハリストスは私たちが主の復活に与り、ともに永遠のものとなるために一つの道筋を用意してくださいました。それは「洗礼を受け、主の体と血である聖体を領食する」という方法です。これは私たちを罪と死から救い出し、永遠の命を与える、新しい神と人との約束です。「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。(ヨハネ6:54)」という主の言葉を信じているからです。聖体を受けることで私たちはハリストスの体と一体になり、教会は「ハリストスを頭とした肢体」となります。聖体を受ける者はハリストスに連なり、ハリストスとともにあって永遠の生命を受けます。ですから正教徒は毎週日曜日に、聖体礼儀を行い、神に感謝を捧げ、その恵みの賜物を受け取るために教会に集うのです。

ソース:

https://www.ocjmorioka.com

https://www.ocjmorioka.com/orthodox

盛岡ハリストス正教会

Morioka Orthodox Church

<>



******



ORTHODOXY:



神様の平安が皆さんとともにありますように

May God's peace be with you

<>

神に感謝

Thanks to God


<>

主のご復活、おめでとうございます!

Congratulations on the resurrection of the Lord!

<>



​盛岡管轄区の教会

https://www.ocjmorioka.com/churchs

Orthodox Christian churches in Japan

<>

実に復活!

おめでとうございます!

<>


教会へのご招待

Invitation to Church

​ ここまで、長く書きましたが、正教会についてこの場ですべてを語り、解き明かすことはできません。また、「読む」ということだけで正教会の真の理解に至ることは絶対に不可能です。また私たち正教徒自身も、正教全体を理解し、真理を完全に知っているわけではありません。それほどまでに正教会は奥深く、神秘の側面を多く残しています。ですから、もし正教に関心がある、キリスト教に興味がある、という方はぜひ実際に教会に足を運んでみてください。もし可能であるならば、それは私たちが祈祷を行っている時がなお良いでしょう。正教会の神髄は奉神礼(礼拝)を行っている時にこそあります。そこで何が起こっているのか、どのように祈りが行われているのか、ぜひ五感をもって確かめてください。本を読むだけの勉強では得られない体験がそこにはあるはずだからです。

ソース:
https://www.ocjmorioka.com

https://www.ocjmorioka.com/orthodox

盛岡ハリストス正教会

Morioka Orthodox Church


<>

あなたは死を超えた愛の力で

You are the power of love beyond death

イエス·キリスト
あなたは死を超えた愛の力で
わたしたちに本当の自由を与えて下さいました
この一年、この心にみなぎる愛と福音を
どんな困難も恐れずに
生きていくことができますように

主のご復活おめでとうございます!


<>

正教会の信徒は、教会や家庭祭壇のイコンの前にろうそくを灯します

Orthodox believers light candles in front of icons in churches and home altars

正教会の信徒は、教会や家庭祭壇のイコンの前にろうそくを灯します。
これにはいくつかの理由があります。
まず、ろうそくの光は、私たちの霊を照らす「世の光(ヨハネ8:12)」であるハリストス(キリスト)を象徴していて、その光=イイスス(イエス)を信仰していることを表すためです。

また、ろうそくの光を見て「爾等の光は人々の前に照るべし。彼等が爾等の善き行いを見て、天に在す爾等の父を讃栄せんためなり(マタイ5:16)」というイイススの言葉を思い出すためでもあります。

聖人のイコンに限定すると、そのイコンに描かれた聖人が受けた神からの「光」、そしてその聖人の尊敬すべき聖なる生涯から発される「光」を記憶し、彼等の信仰や生き方を学ぶためろうそくを灯す、という意味もあります。

また、私たち人のためにご自身を捧げたハリストスの受難や聖人たちの犠牲に感謝し、それに対する敬意を示すためにろうそくを捧げるという意味もあります。

最後に、ろうそくは身を減らして人を、そしてイコンを照らしますが、ろうそくを灯す私たちも、そのような自分自身だけでなく、人のために、世のために、そして神のために尽くす生き方ができることを願う、という意味もあります。

https://twitter.com/Nicholas199903




<> 

山下りん

Rin Yamashita, Japan (1857-1939)

山下 りん(山下 里舞、やました りん、安政4年5月25日(1857年6月16日) – 1939年(昭和14年)1月26日)は、日本の画家である。日本人最初のイコン画家として知られる。正教徒で聖名はイリナ。そのためしばしばイリナ山下りんとも言及される。

略歴

常陸国笠間藩(茨城県笠間市)の出身。1873年(明治6年)に江戸に出て豊原国周という浮世絵師に学び、後に川上冬崖に洋画を学んだ中丸精十郎に師事する。1877年(明治10年)には工部美術学校に入学し、アントニオ·フォンタネージの指導を受けた。同窓生の山室政子の影響で正教会に改宗した。工部美術学校は1880年(明治13年)に退学する。

同年、山室の代役で教会より派遣され聖像画家として修養すべく帝政ロシアの首都サンクトペテルブルクに留学した。ビザンチン式の聖像の技法を山下自身は好まず、ロシア滞在中に記した日記に「イコンはおばけ絵」「イタリヤ画(ラファエロが描いたような絵)が画きたい」などの発言を残している。滞在中は女子修道院でイコン製作技術を学び、本当は5年滞在のところを丸2年滞在して1883年(明治16年)に帰国した。

帰国後は東京神田駿河台にあった日本正教会の女子神学校にアトリエを構え、外界との接触を絶ちイコン製作に没頭する。1891年(明治24年)に竣工したニコライ堂にも後にイコンを描いた(関東大震災で焼失)。主に関東地方や東北·北海道を中心に300点あまりの聖像を残した。作風には留学当時ロシアで支持されていた西欧カトリックの宗教画の影響が強く、模写したロシア·イコンを通じて山下りんがギュスターヴ·ドレの聖画集を間接的に模写していたことが指摘されている。

イリナ山下のイコンは全て模写であり無署名である。この点において、正教のイコンの原則を忠実に守っている。ロシア留学からの帰国後は、留学経験を誇る風もなく、機関紙である『正教時報』に留学体験を書くこともなく、肖像写真にも土産にもらったワンピースを着ることもなく粗末な木綿の着物で写り、教会内で目立った自己主張もせず、ただただイコン制作のみに努めた。当時の女子神学生の証言として、周囲とは全く没交渉で、浴室で稀に会った程度であり、アトリエすらも見た者は居なかったというものがある。

ロシア革命後は正教も衰えたため、1918年(大正7年)、61歳で郷里の笠間に戻り、晩年は白内障のためもあって絵筆はとらなかったという。満81歳で没。墓所は笠間市の光照寺。

1901年(明治34年)44歳で制作、個人所有のイコン、ウラジーミルの聖母は2005年に『美の巨人たち』でとりあげられた。

留学先

りんの留学した修道院は、長らく名称、所在地が不明であったが、1979年、川又一英が、当時のレニングラード(サンクトペテルブルク)を訪問し、突き止めている。これは、市の中心から南へ5km、ザバルスカン大通り(現モスコフスキー通り)に面した、正式名称サンクトペテルブルク復活女子大聖堂、通称ノヴォデーヴィチ女子修道院である。エルミタージュ美術館へ行程8kmほどで、一時期、りんは馬車で通っていた。その後、ロシア革命、第二次大戦を経て荒廃していたが、ソ連崩壊後、徐々に再建されている。


<>

日本の正教会

Orthodox Church in Japan

 私たち日本の正教会はロシアから伝えられました。1861年、幕末の蝦夷地にニコライ·カサートキンという一人の若い修道司祭が上陸しました。彼はまだキリスト教が禁止されていた日本で、日本語や日本文化を学び、来るべき宣教開始の日を待ちました。やがて明治に時代が変わり、彼は日本での宣教活動を始めます。その時に最初の拠点となったのが、北海道函館の教会でした。今日、観光地としても親しまれている「函館ハリストス正教会」です。ニコライは宣教の中心は日本の首都であるべきであると考え、東京の神田駿河台の地に土地を購入し大聖堂を建立します。これが現在の「東京復活大聖堂」、通称「ニコライ堂」です。ニコライは精力的に日本全国を宣教して最盛期には3万人近い信徒が日本全国にいたと言われています。

 ここ盛岡の地にも明治初期に正教が伝えられ、最初は加賀野に聖堂が設けられました。最初の聖堂は武家屋敷を買い取ったものであったと言われています。1961年(昭和36年)に現在の高松に移転され、現在の聖堂が建設されました。高松の池のほとりに位置する丘の中腹に建つ聖堂は、下を走る国道4号線のバイパスからもよく見え、良い景観を作っています。また教会のある丘からは盛岡市を一望でき、天気のいい日には岩手山も正面に見えるという絶好のパノラマを備えています。

ソース:
https://www.ocjmorioka.com

https://www.ocjmorioka.com/orthodox

盛岡ハリストス正教会

Morioka Orthodox Church

<>



聖書はまるで、辛い時、苦悩の時、頭をそこに委ねる母の胸です

聖書はまるで、辛い時、苦悩の時、頭をそこに委ねる母の胸です。

+新致命者聖アレクサンドラ(ニコライ2世の皇后)

https://twitter.com/Nicholas199903

<>

福音を「書き」続けている

Continue to "write" the Gospel

「わたしたちは、このことの証人です」



聖書の信憑性を示すひとつの要素は

弟子たちが一貫して

自分たちのふがいなさしか書いていないことだ



もし弟子たちが後世の人々を騙そうとして

福音書を書き残したなら

自分達のいいところばかり書いていただろう



わたしたちも

福音を「書き」続けている

<>



奉神礼について

About Liturgy

奉神礼とは「礼拝」や「典礼」を表す正教会の言葉です。

正教徒にとって奉神礼こそが、キリスト教徒としての生活の中心であり​、もっとも重要なものです。

ソース:
https://www.ocjmorioka.com

https://www.ocjmorioka.com/liturgy

盛岡ハリストス正教会

Morioka Orthodox Church

<>



子どものように無邪気に喜ぶだろうか

Will you be innocently pleased like a child?

もしイエスがわたしの足を洗おうとしたら

どう感じるんだろう

子どものように無邪気に喜ぶだろうか

それとも

年を重ねるごとに複雑になってゆくこころの

ひだにたまる汚れに触れられるような

いたましさを感じるのだろうか



<>



聖体礼儀について

About the Divine Liturgy

 正教徒にとって、正教徒であることの意味のすべては、この聖体礼儀にあると言っても過言ではないでしょう。聖体礼儀とはイイスス·ハリストス(イエス·キリスト)の体と血となったパンとぶどう酒を領食する奉神礼であり、ローマカトリック教会の「ミサ」、プロテスタント教会の「聖餐式」に相当する祈祷です。私たちは日曜日ごとに教会に集い、祈り、感謝してパンとぶどう酒を神に捧げます。そのパンとぶどう酒は「聖体」すなわちハリストスの体と血となって私たちに与え返され、それを領食する私たちはすべての罪が許されて永遠の命に至ることができる、と私たち正教徒は信じています。この聖体を人々に分かち与えることこそが、教会の役割であり本質です。イイススは機密制定の晩餐(最後の晩餐)の席において、使徒たちにパンを割きぶどう酒を与え、それが自分の体血であること、それが人々の罪の赦しとなると宣言し、そしてこれからも同じように行うように命じました(ルカ22:17-20、コリント11:23:25)。聖体は私たちを生かし、神の国へと導くイイスス·ハリストスそのものです。だからこそ私たちは2000年にわたって聖体礼儀を守り続けてきたのです。

わたしは天から下ってきた生きたパンである。

それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。

わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である。

イオアン(ヨハネ)6:51

ソース:

https://www.ocjmorioka.com

https://www.ocjmorioka.com/liturgy

盛岡ハリストス正教会

Morioka Orthodox Church

<>

教会の中には何かが育ちつつある

Something is growing in the Church

教会の中には何かが育ちつつある

この困難には意味があると思わせてくれる

励まされるようなインタビューでした



より主体的な信仰と行動的な参加への成長

ゆらぐいまをあたりまえの日常として

ゆるぎないものに基づいていく

<>



洗礼について

About Baptism

 聖体礼儀を行い、聖体をすべての人に与えることが教会の役割である、とはいえすべての人が聖体をいただけるわけではありません。聖体を受けるためには正教の洗礼を受けた人間であることが求められます。信仰の無い者、信仰を異にする者が聖体を受けても利益にならず、かえって害になってしまうと教会は考えるからです。聖使徒パウェル(パウロ)はコリント人への手紙の中で「主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分にさばきを招くからである(11:29)」と語っています。聖体を受けて神の国と永遠の生命を得ることを求める者は誰でもまず洗礼を受けてそれに備えなければなりません。

​ 洗礼とは至聖三者、すなわち三位一体の神である「父と子と聖神の名」において三度水に沈み(日本では頭から水をかける方法が多いですが、これも有効な洗礼です)、主の十字架上の死と三日目の復活にあずかる奉神礼です。洗礼は人生において、たった一度だけ行われます。洗礼の水に沈むことによって、私たちは罪と死に支配された歪んだ人間性とともに死に、ハリストスが復活したように、全く新しいものとして生まれ変わります。私たちはそのことを「ハリストスを着る」という言葉で表現します。

 洗礼が終わると直ちに聖神(聖霊)の印である聖膏(特別な香油)が体の各所に塗られ、聖神の賜物が神から与えられます。洗礼を受け聖神の印をつけられたものは、聖神によって生かされる「神の宮」となります。

 福音を伝え、洗礼を施すこともまた主イイスス·ハリストスの命令です(マタ28:19)。一人でも多くの人が神の国へ至る道を歩めるようにハリストスを述べ伝えること、これもまた教会の本質的な役割です。洗礼を受けるのに、人種、性別、身分、年齢、あらゆる障壁はありません。ただ切に神と神の救いを求める心がある限りすべての人に洗礼は開かれています。​正教徒として生きることに興味や関心がある方は、ぜひ教会の門を叩いてみてください。

よくよくあなたに言っておく。

だれでも、水と神(しん·霊)とから生れなければ、

神の国に入ることはできない。

イオアン(ヨハネ)3:5

ソース:
https://www.ocjmorioka.com

https://www.ocjmorioka.com/liturgy

盛岡ハリストス正教会

Morioka Orthodox Church

<>

たましいを燃やすあの愛を

道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか



復活したイエス

復活祭の大騒ぎのあとで

簡単に忘れてしまうわたしたちの心に

語って下さい

心でしか理解できないあのできごとを

たましいを燃やすあの愛を



<>

4月26日はロシア正教会で「チェルノブイリの救い主」を記念します

April 26th will commemorate the "Savior of Chernobyl" at the Russian Orthodox Church
東方教会では社会問題のためにも記念を定め、イコンを描くそうです。

4月26日はロシア正教会で「チェルノブイリの救い主」を記念します。

放射能で病を負いおびえた子どもを集めるキリストは、人類を愛のうちに集めようとする神の思い、そして人間の被造物への責任を思いかえすようにうながしています

https://twitter.com/Nicholas199903

<>

神よ、私は確信しています

God, I'm sure

神よ、私は確信しています

あなたのいつくしみにより頼むものには

なにも欠けるものはないと 

すべての思い煩いは

あなたが引き受けて下さいますから 

<>

聖枝祭、おめでとうございます!

Happy Palm Sunday!



<>

今日は聖大火曜日

Holy Tuesday

今日は聖大火曜日、読まれる福音の箇所はマトフェイ(マタイ)24:36-26:2です。

ここでイイススは、世の終わりがいつなのかを計らないように、その時まで覚醒しているように呼びかけ、「忠実な僕と悪い僕」、「十人の乙女」の例え話を語ります。

花婿が来るその時までは、油を溜めておきたいものです。

* * *

視よ、新郎は夜半に来る。僕の醒むるを見ば、僕は福なり。その倦むを見ば、當らざる者なり。我が霊よ、慎みて眠り惰るなかれ、恐らくは死にわたされて、国の外に閉されん。疾く興きて呼べ、聖、聖、聖なるかな神よ、生神女によりて我らを憐れみたまえ。

今日歌われるトロパリです

https://twitter.com/Nicholas199903

<>

今日は聖大水曜日

Holy Wednesday

今日は聖大水曜日、朗読される福音の箇所はマトフェイ(マタイ)26:6-16です。

ここでイイススは、香油を注いだ女性を褒め、弟子たちに自分の死と福音宣教を予言します。

そして、弟子の一人であるイウダは、祭司長たちに銀貨30枚でイイススを渡す約束をしていたという話で、朗読箇所は終わります。

https://twitter.com/Nicholas199903

<>

聖木曜日

Great and Holy Thursday
今日は聖大木曜日、機密の晩餐(最後の晩餐)やイイススが弟子たちの足を洗った出来事が記憶される日です。

また、今日の夕方に捧げられる聖大金曜日の早課(早い朝の祈り)では、『十二福音』と呼ばれる祈りがあります。福音書の受難の箇所を12に分け、早課の祈祷文と合わせて朗読する祈りです。

十二福音は主の告別説教(イオアン/ヨハネ13:31)から始まります。

1から12までの福音の箇所が読まれるたびに鐘を鳴らし、「主よ、光栄は爾の苦しみに帰す」と歌います。

この祈り、すごく好きなのですが、今年は参祷制限が厳しいため、家で韓国正教会の配信を見て、お祈りを捧げたいと思います。

* * *

今日は聖大月曜日、読まれる福音の箇所はマトフェイ(マタイ)24:3-35です。

世の終末が来る前、どのような事が起きるかについてのイイススの予言が書かれている箇所ですね。

終末の時がいつになるのかは分かりませんが、その時になって「こうすれば良かった」と後悔しないように生きたいと思います。

https://twitter.com/Nicholas199903

<>

今日は聖大金曜日

Good Friday

今日は聖大金曜日。

イウデヤを解放する王として、民衆の歓迎を受けながらエルサレムに入った、ナザレト出身のイイススという男は、「これを去れ、これを去れ、十字架に釘せよ!」という民衆たちの罵倒が鳴り響く中、十字架にかけられ、孤独の中で息耐えました。

主よ、光栄は爾の苦しみに帰す。

https://twitter.com/Nicholas199903

<>

今日は聖大土曜日

Holy Saturday

今日は聖大土曜日。

イイススは眠られ、墓に葬られました。

私たちは主の墓の前に立ち、嘆き、悲しみます。

しかし、ただ悲しむだけではありません。

主ご自身が予言したように、死より復活し、また私たちとともにいてくださるという希望を抱き、喜びの時まで、主の苦しみに感謝し、悲しむのです。

https://twitter.com/Nicholas199903

<>

イエスが「マリア」と言われると

When Jesus says "Maria"
イエスが「マリア」と言われると、

彼女は振り向いてヘブライ語で

「ラボニ」と言った



だいせつなときにイエスに呼ばれたら

その声が主のものだと聞き分けられるほど

わたしは、わたしの日々の生活は

彼の声に慣れ親しんでいるだろうか



<>

イコン「悪しき心の浄化」

Icon of Most Holy Virgin Mary 

"Purification of the evil heart"

イコン「悪しき心の浄化」

正教会のイコン、特に生神女マリア様のイコンには、あだ名が付くことが多く、各イコンごとに興味深い伝承や歴史的事件·人物と関わったエピソードがあって、調べていくとかなり面白いです。

https://twitter.com/Nicholas199903



<>

ユダはパン切れを受け取ると

When Judas receives a piece of bread

ユダはパン切れを受け取ると

すぐ出て行った

夜であった



闇の中に消えていったユダをまなざしで追う

イエスの思いがこころに刺さる



いくどとなく

こうして闇にむかって彷徨ったとき

遠くにその瞳があったのだ



<>



死者の祈り(パニヒダ)について

About the prayer of the dead

​ 私たち正教徒はしばしば死者のための祈りを行います。すでに永眠してしまった私たちの友や家族が神の国に入れられるように祈るのです。正教会は人間の救いについて、自分の努力や功徳の積み重ねの結果で神の国に入ることができる、とは考えません。人間は誰もが罪を犯します。まったく潔白で神の国にふさわしい人間は、人となった神、イイスス·ハリストス以外には存在しないのです。ですから、もし私たちが純粋に善行と悪行をもって審判されるのであれば、すべての人が有罪となり地獄へ行くことになってしまうでしょう。しかし神は人間を功罪で審判する方ではありません。もちろんすべての人間の功罪をご存じです。しかし神にとって何より大切なのは、神が人を愛しているということです。神は人を愛しているので、人となり、私たちのために神の国、永遠の生命に至る道筋を示してくださいました。それは神の愛の呼びかけに応え、洗礼を受け、聖体をいただくという道です。人間に求められているのは「神の愛、神の招きに応えること」だけなのです。

 しかしこれは生きている人間にしかできないことでもあります。死んでしまった人は自らの口で祈ることも、聖体を受けることもできません。だから私たちは死者のために祈ります。もはや言葉も息もない、愛する友や家族に代わって神に祈ります。おそらく友や家族たちにも罪があるでしょう。しかしそれに目をつむって、どうか神の国に入れてあげてほしい。これが私たちにとっての死者のための祈りです。私たちは神が人を愛しているのを知っているので、この祈りが聞き届けられることも知っています。そして最後の審判の日、私たちはともに復活し、全く新しいものとして再会の喜びを分かち合い、永遠の幸福に入れられる、ということに希望を置いているのです。

もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。

先のものが、すでに過ぎ去ったからである

イオアン(ヨハネ)の黙示録21:4

ソース:
https://www.ocjmorioka.com

https://www.ocjmorioka.com/liturgy

盛岡ハリストス正教会

Morioka Orthodox Church

<>

​盛岡管轄区の教会

盛岡ハリストス正教会

​聖十字架挙栄聖堂

名勝「高松の池」近くの丘に建つ教会。鐘楼とドームは下を走る国道4号線からもよく見える。イコノスタスのイコンは明治の日本人イコン画家イリナ山下りんの手によるもの。

住所 020-0114岩手県盛岡市高松1丁目2-14

​電話 019-663-1218

​盛岡管轄区の教会:

https://www.ocjmorioka.com/churchs





<>



​盛岡管轄区の教会

北鹿ハリストス正教会​

​曲田生神女福音会堂

秋田県内唯一の正教会の会堂。明治25年に建設された木造会堂だが、今でも現役で祈祷が行われている。木材を湾曲させて作った中央のドームが大変に美しい。イリナ山下りんのイコンも多数用いられている。秋田県と大館市の重要文化財。

住所 018-5603秋田県大館市曲田80-1​

web http://www.wp-honest.com/magata/

​盛岡管轄区の教会:

https://www.ocjmorioka.com/churchs



<>



​盛岡管轄区の教会

山田ハリストス正教会​

主の復活会堂

三陸海岸の漁港の町、山田に建つ教会。旧会堂は東日本大震災後の津波、及び大火災により焼失してしまった。しかし信徒達の懸命な努力により、2018年新会堂を新築、成聖。主の復活を記憶し「復活会堂」と名付けられた。

住所 028-1341岩手県下閉伊郡山田町八幡町4-28

​盛岡管轄区の教会:

https://www.ocjmorioka.com/churchs



<>



​盛岡管轄区の教会

遠野ハリストス正教会​

​聖太祖アウラアム·サッラ会堂

​遠野の農村地帯に建つ教会。畑の中のなだらかな丘の上に位置しており、田園風景によく映えている。もともと遠野の地には会堂は無かったのだが、地元信徒の努力により2013年に建立成聖となった。遠野地区の最初の正教信者の聖名がアウラアムとサッラであったことにちなみ、聖なる神の祖先アウラアムとサッラの名を会堂名とした。

住所 028-0555岩手県遠野市土淵町土淵10地割31-1

​盛岡管轄区の教会:

https://www.ocjmorioka.com/churchs

<>




​盛岡管轄区の教会

岩谷堂ハリストス正教会​

​主の降誕会堂

岩手県の南部に位置する奥州市、江刺地区に建つ教会。

​会堂内のイコノスタスは、かつて中国遼東半島の旅順市にあった聖堂から運ばれてきたと伝えられているが、真相は不明。

住所 023-1121岩手県奥州市江刺区男石1-4-3

​盛岡管轄区の教会:

https://www.ocjmorioka.com/churchs



<>

かれに続け

Follow Him

わたしたちへの愛でこころが壊れそうになりながら

小ろばにのったこの救い主が

わたしたちの神



かれに続け

<>

感謝致します

Thank You

何だか、涙が出そうになりました。どうもありがとうございます。感謝致します。

<> 



アーメン!

Amen!


<>




Total Pageviews

Welcome...! - https://gkiouzelisabeltasos.blogspot.com